当地10月31日はハロウィンでして、家々で飾り付けが始まりました。上の写真は近所のド派手な家です。
ハロウィンは古代ケルト人の多神教の精霊信仰を起源とするお祭で、秋の収穫を祝い悪霊を追い出すという宗教的な行事が、現代社会にまで持ち越されてきています。たぶん彼らの潜在意識に精霊信仰のなごりが残留しているからと思います。霊とはその様なものです。
私は毎年この日は会社を早退して家に帰り、"Trick or Treat"と玄関のドアを叩く子供たちにキャンディーをあげるのを楽しみにしているのですが、今年は出張で留守になってしまい残念です。
日本では靖国神社の秋季霊大祭に、安倍首相が参拝するか否かが話題になっています。中国と韓国は例年通り「侵略戦争の歴史を美化する無責任な行為」、「日本の右傾化に懸念を禁じ得ない」と騒ぎたてている事を配慮し、またして「痛恨の極み」とかで参拝を取り止めました。
私は歴代の首相に国民を代表して靖国神社を参拝してもらいたく願ってきました。また、これまで靖国参拝を踏み絵にして、一流の政治家か二流以下かを一つの判断材料にしてきました。
しかし、今年になって別に首相に国民の代表として無理に行ってもらわなくてもよくなってしまい、期待もしないので、落胆もなくなりました。心の問題ですから行く気になったら静かに参拝すればいいだけのことです。人にはそれぞれ置かれた立場や思惑がありますので、御霊に参拝できないのなら無理しなくても構わない。参拝は政治の問題でなく心の問題ですから、政治が介入して強制や規制すべきものでないし、いわんや外国からの干渉など言語道断です。
私が首相の参拝にこだわらなくなった心境の変化は、百田尚樹氏のあの分厚い文庫本「永遠のゼロ」が、300万部数を越えて400万部にせまるという社会現象を知り、国民の霊性意識を信じる気持ちになったことが大きな理由です。国民の集合的無意識層に大きな地殻変動が生じて、首相の参拝云々の次元を超えて政治の先を行ってるようです。
ただ日本が戦後68年も民主国家を続けているのに、いまだに中国と韓国は首相参拝を牽制し反日で騒いでいます。彼らの大東亜戦争は終わらずに継続しているようです。こちらは平和意識であちらは戦争意識ではいつまでも調和などあり得ません。それでも中国とは大人の喧嘩ができますが、韓国とは度し難い子供の喧嘩になっています。感情で争うことほど醜いものはありませんので、彼らと同じ意識程度に陥る事なく、慈悲と和の心を堅持して、相手が変わるまで「脱東亞」を貫けばよいと考えています。
靖国神社は秋だけでなく四季を通して九段坂上に鎮座しています。
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