今年もまた8月15日の靖国参拝にまつわる鬱陶しい日がやってきました。
国のために尊い命を犠牲にされた御霊に対し、感謝の気持ちと尊崇の念ので、静かに参拝すればいい事なのに、なんでこんな罰当たりな騒ぎをするのか、「感謝の念を忘れた民族に未来はない」。
韓国の甘えた幼児的な反日病はいよいよ危篤症状を呈してきている。反日をすることで北朝鮮の危機から目をそらしているのだろうが、このスリかえ病理現象に医者もそろそろ匙をなげだす頃になっている。
私、1968年20歳の時に日本チームの団長として、韓国ユネスコ主催で禿げ山に樹を植えるボランティア活動に参加したことがありました。キャンプには、アメリカ、メキシコ、台湾、韓国ユネスコの団体が参加し、昼間は植樹活動、夜は各国による演芸発表会がありました。
我々のジャパン・ナイトの時に、一人の女性団員が韓国の民族衣装のチョゴリを着てアリランの民謡を韓国語で歌いました。翌朝になり私が韓国の執行部に呼び出され、「日本人が我々のチョゴリを着て、植民地時代の怨歌であるアリランを歌うとは、どういうことか」と、説明を求められました。私は受け取り方がこうも違うのかと唖然とし「彼女には悪気はないが、気障りになったのなら申し訳ない」と応答すると、さらに戦後の日本の繁栄は朝鮮戦争の特需であり、日本が植民地時代になにをやったかと突っ込んできました。
私はこれはまずいなと思い、彼らの主張をさえぎって「あなた方の国を愛する気持ち尊重するが、同時に私らの国を愛する気持ちも尊重してほしい」、「ロシヤが植民地政策を押し進め南下している時に、韓国は内乱でなす術もないから、日本は防衛のためにもやってきた、もしあなた方が南北問題で同じような事を繰り返すのなら、またやってきます」と言いましたら、相手は何て不徳な事を言う奴なのか、こいつと話をしても無駄だという呆れた顔をして黙ってしまった。たぶんユネスコ本部に対し事を荒立てたくなかったのと、或るいは私の背後に特攻隊の影でも見たのかも知れない。
でも、キャンプが終了しみな涙ながらに分かれ、今でもその時の知人とお付き合いしています。つい先日もソウルの友人から個展の案内状が届きました。ソウルでの個展なのですが、案内状の印刷に日本語で、橋本美代子の俳句、「ひるがえる 蓮の大葉を 飽かず見る」を、モチーフにして描いたとありました。よくこの時期に日本語でと思いましたが、彼は私が行けないのを承知の上で、相変わらずの健在を送ってくれたのだと思います。私も相変わらずの元気を返信しておきました。
日本も韓国も大人になろう。ここはお互いに自重すべきところです。
「真の平和とは理屈を超越して、その心の中に和合の気持ちをもつことである。およそ恨の感情で争うことくらい醜いものもない」(天風訓)
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