今年は伊勢神宮が二十年に一度の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」の大祭ですので参拝に行ってきました。第62回の遷宮となり千三百年という世界史に例(霊)をみないものとなっています。
時の流れは速いもので、前回の遷宮の年に参拝したのがほんの数年前の記憶になっています。前々回の時の記憶は五十鈴川だけとなっています。20歳の時に伊勢御神田の稲刈りのご奉仕をした時、稲穂に神々しさを感じてから参拝を続けています。
遷宮の奉賛でいつもの受付カウンターで記帳したく思いましたが、混み合っていたので隣のカウンターで受付をしましたら、前回と様子が違い記帳用紙の上に、家内安全、商売繁盛、交通安全、無病息災等々、願い事が十数項目も並んでいて一項目に○を付けなさいとのことでした。私は奉賛でしてお金で念願を買う気などないので受付の前で躊躇てましたら、一つ選ぶように催促され後から2番目にあった「心願成就」に○を付けますと「あちらの控え室でお待ちください」と案内されました。この時点で受付を間違えて「奉賛」でなく「奉賽」だったことに気がつきました。
私は10年計画をご報告しに来たので、神様にお願いしにきたわけでありません。神様もお忙しいですから、自分の心願くらいは神に頼らなくても自助努力してゆく所存でしたが、神事のゆえにお断りできませんでした。
まもなくして御殿に30名ほどの人たちと一緒に案内され御神楽の儀になりました。神殿の両脇に、笛、ひちりき、笏拍子の雅楽人と巫女たちが座して並び、舞楽の奉奏とともに巫女たちが五色絹を飾った榊を持ち「倭舞」と「人長舞」を舞い、とても荘厳な儀式でした。
宮司に私の姓名と「心願成就」のお祈りをあげてもらっている最中に「十年計画など小さい、小さい事よ。二十年実践して、またここに来なさい」と、叱られている気持になっていました。さらに有り難いことに20年後にここで参拝している自分の姿が視覚化されて、時空が視野に入ってきました。
そして、たとえもし私がその途上で散華したとしても「後ニ続ク者在ルヲ信ジ」ればそれでよいわけでして、それが千三百年の生命を受け継ぐ「永遠の今」という事だと啓示されました。
神前で心を新たにし20年の歩を始める事にしました。 再拝。
お伊勢さん休憩所、、ぁそれ〜シェ〜
コメントする