2012年11月アーカイブ

走馬看花

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 今回の東京、中国出張は14日から21日まで5泊、機上2泊の強行のためか、一枚の写真も撮らずに帰ってきてしまった。日本では衆院解散、中国では10年ぶりに指導者が代わる第18回党大会の直後というのにシラケを感じてなんら写真に留める対象もなく「走馬看花(馬で走りながら花を見る)」移動だけで終わってしまった。
 こんな収穫のない出張もめずらしいと思いながら、帰りの機上で「週刊文春」11月29日号の特集、「曽野綾子X葛西敬之の特別対談」を読み始めてガッテンでした。大型企画「中国リスクを吹き飛ばせ!」とあり、「経営者よ、国家ぐるみの詐欺にダマされるな」と、週刊誌としては珍しく中味の濃いものだった。
 対談の両氏は私がかねがね尊敬している方であり、時おり葛西氏(
JR東海会長)の小論を読んでいました。しかし、葛西氏の中国に対するスタンスが私とここまで同じだったことに(私からの引用ではと思えるほど)、驚きをもちながら読み感動さえ覚えました。4ページの対談ですが参考になりますのでお薦めです。

 葛西氏は対談のなかで「国同士の付き合いも人間関係と相似形で対等でなければなりません。中国のような国と共存する道は、毅然とした態度で堂々とつき合う以外にない。日本側が媚びる必要はないのです。」
 日本は「財政破綻の危機に目を瞑り、累積債務を先送りし続け、中国の侵略の危機にも、何ら手を打たずにいる。私には現在の日本が、破綻直前の国鉄の姿と重なるのです(葛西氏は国鉄の民営化を主導した)」
 さらに極めつけは、「21世紀は太平洋を挟んで中国の国家資本主義と、アメリカの自由民主主義が対峙する時代です。日本は世界の二大勢力が拮抗する最前線にいるわけですが、どちらにつくのか、岐路に直面しています。どちらを選択するかのヒントも、また歴史のなかにあります。もし日本が中国側に付き、東アジア共同体を目指すなら、戦前と同じ過ちを繰り返すことになる。近衛文麿内閣は日米関係が悪化する中、中国大陸に国運を賭けて戦争に突入し、すべてを失いました。日本は自由、民主主義という普遍的価値観を共有する環太平洋諸国と経済的・軍事的な紐帶を強め、中国の覇権主義に対抗するしかありません。大陸と環太平洋の間で勢力均衡が成り立てば、中国は初めて紳士的な隣人となるでしょう。」
 以上ですが、私と全く同じスタンスです。これは私の持論でもあります。日中間にアメリカを挟むことで、「保持距離、以策安全」となり、日本の未来は海洋国家として、中国は大陸国家として棲み分ければよいというものです。その線引きが尖閣諸島でもあります。
また、これは中国の為でもあるわけです。
 (本ブログ11月3日「満州族」を参照)

一隅を照らす

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 今日は暖か日和でしたので近くの公園を散歩しながら、10月30日に直撃した超大型ハリケーンの傷痕を見てきました。公園は観測史上最大となる風速150メートルで多くの樹木がなぎ倒されていました。
 倒れた樹々を観察しますと、根を広くはらずに高く生長した樹々が根刮ぎにやられていました。基礎を造らずに大きくなった樹は嵐に耐えられないわけです。また、古く枯れ気味の樹々は幹や枝から無惨にへし折れていました。嵐に耐えられず最期です。根をしっかりはった樹々は何事もなかったように風速に耐え残っていました。なんか中学生向けの教訓話しのようですが、こうした樹々からも学ぶものがあります。
 我が社は防災商品のLEDライトと携帯のチャージャーを取り扱っていますので、ハリケーン災害で1〜3週間におよぶ停電のため注文が激増しています。停電時でも携帯が使用できる事と、真っ暗な時に一筋の光に勇気づけられるものなのでしょう。事前に備えがあれば憂いなしでして、自然災害の時にたくさん注文が来るのは不本意なのですが、こうした非常時に人様のお役にたてることは商品開発者としての本懐でもあります。


感謝祭

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photo.jpeg アメリカは11月の第四木曜日が「サンクスギビング・ディー(感謝祭)」の祝日になっています。私の一番好きな祝日でして、今年一年の収穫に感謝を捧げています。

 「感謝祭」の起源は1621年、イギリスからメイフラワー号に乗ってアメリカに移住した清教徒たちが、新天地で初めて収穫を得てサバイバルできたことを神に感謝し、厳しい冬を越す知恵を教えてくれたネイティブ・インディアンを招いて祝宴を催したことに由来しています。いわばアメリカの原点の祝日となります。中国語では「感恩節」と訳されています。
 本来アメリカは移民の国でして共通した祝日を持っていません。新年にしても、ユダヤ人、インド人、中国人、アラビア人等、それぞれの暦で新年を祝っています。クリスマスもキリスト教徒のお祝いでして、他の宗教を信仰する人は、「メリー・クリスマス」と祝わずに、「季節の挨拶」だけで済ましています。そして「独立記念日」と「感謝祭」が、移民の国アメリカで共通の祝日になっています。
 この日は家族一同が集まり、また同窓会などで友人が集合してロースト・ターキー(上記の写真)を囲んで、この一年の収穫に感謝の祈りを捧げています。
 しかし、建国から400年たち、今のアメリカは豊かさの中でこの建国の精神と感謝の心を喪失しているようです。もう一度この自助努力の精神を取り戻してもらいたいものです。

 我が社にはメイフラワー号に乗って移住して来た、Mr.スミスの姓を持つデザイナーがいます。彼は自己紹介する時に、半分のジョークを含め「I am Mr.スミス、オリジナル」と言っています。昨日はその彼から、「
Happy Turkey Day.Best wishes to all your families」と、お祝いのメールが届きました。
 我が友アメリカは今こそ建国の原点に還る時となっています。

オバマ・シンドローム

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IMG_0037.jpeg          (アメリカの国旗に背を向けて立つ自由の女神)
 ベテランの気象予報士がすべての気象状況を分析して発表した天気予報が見事に外れた時に、彼がその弁解に「俺は間違っていない、間違ったのは天気の方だ」と言い放ったという、本末転倒ですが説得力のあるおかしな話しがあります。

 先日のアメリカ大統領選で、私の予想は見事に外れてしまいました。これは「私の予想が間違ったのでなく、アメリカの選択が間違った」わけです。多くの経済人はロムニーの勝利を予測して待機していましたから大慌てです。翌日から連日に株価が大幅下落したことに慌てぶりが現われていました。これで更に経済が動けずに建て直しが座礁したら困ったものだと思っています。いよいよアメリカのハイパーインフレによる世界的なデノミネーションが現実味をおびてきた感じがします。

 しかし、現実にはオバマが再選されたのですから、とにかくこの現実を冷静に受け止めて適応して行くしかありません。もう様子見をしていられません。
 2008年の大統領選挙の時に、アメリカは変わったのかな(?)と疑問符を付けましたが、2012年ではアメリカは変わった(○)とピリオドでした。既成のアメリカでなく、変容したアメリカ社会を受け入れる必要がでてきました。アメリカはもうホワイト層の指導による国でなく、キリスト教を主軸とする国でもなくしてブラーニーの社会に変色したようです。共和党はティーパーティ等の保守派が中心になりましたが、すでに数では主導権をとれないということが明確になりました。二つのアメリカどころか、すべてのマイノリティー(
差別や構造により社会的に弱い立場におかれている少数派)で構成されるフラット社会に変容したようです。白人層もマイノリティーになったわけです。ですから4年後の大統領候補者には白人系だけでなく、インド系アメリカン、ヒスパニック系アメリカンや、女性が候補になってくるかと思います。

 このブラニーへの変色化は、果たしてアメリカの弱体化なのか、或は強いアメリカへの過度期なのか、まだ先が見えてきません。しかし、日本はこのアメリカの変色化を正しく認識して対米交渉を進めて行くことが必要になってきています。日本の憲法改正もその対応のよい機会かも知れません。
 私も個人的にこの変化に対応して行かねばと考え、選挙の翌日から対策に動き始めました。先ずは英語+バイリンガル化から始めました。
         


モンスター・ハリケーン

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IMG_0432.jpeg 何故か同じ大型の熱帯性低気圧なのに発生地域によって名称が異なっています。太平洋上では台風(タイフーン)、太西洋ではハリケーン、インド洋、南太平洋で発生したものをサイクローンと称しています。
 10月30日にニューヨーク州と我がニュージャージー州を直撃した超大型「サンディー」は、観測史上最大となる直径約1440キロメートル、風速150メートルに及ぶものでした。しかも満月の高潮と重なりました。それでも不幸中の幸いだったのは風速が大型の割りに雨量が少なかった事です。これで大雨が重なれば壊滅的な被害をもたらしたと思います。
 風速150mは凄いもので、家が揺れ、樹木をなぎ倒し、電柱を切断しました。電柱に備え付けの変圧器が、落雷のごとく青い閃光をあげて次々にショートし停電になりました。私はあまりの凄さに窓を開け直接肌で風速の強さを感じていましたら、我が家も近くの変圧器の爆発音ともに停電になりました。そこで気づいたのですが、私がもし3.11の大津波の時に遭遇していたら、やはり津波のすごさを直接肌で感じたまま一体になってしまったと思いました。
 かくして翌朝から全地域の交通が遮断され停電が始まりました。停電の復興は1〜2週間と予測され、我が家と会社は1週間で電気がきましたが、9日目に入っても多くの世帯がいまだに停電中となっています。なにせウォールストリートの証券取引所でさえ2日間の休場となり、天候が原因での取引停止は1888年以降で最長だったとのことです。
 私には東日本大震災の被害情況の記憶が鮮明のために、そちらの大被災に同情の思いが行き、この程度は何でもないと思っていました。しかし
ガソリンスタンドに並ぶ車の長い行列には閉口しました。ピーク時の平均待ち時間が4時間といいますから給油を終えた時点でまた最後列に並び直すようなものです。緊急時における群衆心理は往々に愚かなもので、先ずそれが車の反応にでました。は並ぶことをせず、よくよくの場合は歩行と決めていましたが、しみじみアメリカは車社会だと思い知らされました。
 しかし、面白いというか理解できない事は、ガソリン不足の騒ぎをしながらもハンバーガー店でランチを購入する時に、車を止めてお店に入らずにドライブスルーでエンジンをかけたまま並んで注文するのですから、彼らの頭の中はどうなっているのですかね。

 ともあれ、モンスター・ハリケーンは衝撃でしたが、私にとりましては、昨日の大統領選挙でオバマ再選の「オバマ・ハリケーン」の方がより衝撃でした。モンスターは2週間のハリケーン一過ですが、オバマは4年です。こちらの被害のほうがはるかに膨大になると思うのですが、ドライブスルーする彼らの脳構造はどうなっているのですかね。理解に苦しんでいるところです。
 朝から初雪が降りだし寒気団の嵐「ノアイースター」の接近警告がでました。株価もオバマ再選で大幅に下落して低気圧となっています。


満州族

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IMG_0384.jpeg 瀋陽には1931年9月18日に日中戦争の発端となった柳条湖事件(満州事変)があり、中国人にとって屈辱の日となっています。いつ頃から始まったのか瀋陽では毎年9月18日、夜9時18分にすべての交通機関を停止させ3分間警笛を鳴らしています。「リメンバー9.18」といったところなのでしょう。
 しかし、瀋陽は中国人(漢民族)にとってもう一つの屈辱の地であってしかるべきかと思う。満州族が瀋陽を拠点に勃興し、太祖ヌルハチが満州女真族を統一してこの地に清王朝の基礎を築き、17世紀に第三代皇帝が北京に遷都し大清王朝を打ち立て、300余年に渡り漢民族を統治しました。
 満州族は征服王朝でありながら中国を統治することでやがて漢民族に同化してゆき、満州民族のツングース文化のアイデンディティーを喪失し、中国文化に吸収されてしまいました。
 中国史をみてゆくと征服王朝が滅ぶと王朝の故郷である土地は中国の領土になって行くことを繰り返しています。かってモンゴル族が中原に来て元王朝を打ち立てたおかげで中国の領土はモンゴルまで膨張しました。それでもモンゴル族は少数民族として残りましたが、満州女真族は漢民族と同化して少数民族ですらなく消散し、東北の地は漢民族の領土となりました。満州族は東北の小さな地域に住んでいるようですが、今ではチャイナ服と、足の小指の一枚爪にその痕跡を残しているくらいです。

 もし大和民族が中国を統治していれば、おそらく元、清、征服王朝と同じ運命をたどったかも知れれません。
他山の石としたいものです。私が中国とは「保持距離、以策安全」とするところです。幸い日本は高い代償を払って日本列島に帰還しました。
 地政学的に中国は大陸国家としてユーラシア大陸に留まり、日本は海洋国家として海洋に向い、お互いが己の分を知るべきであり、「日出ずる国」と「日没する国」との境界線が尖閣諸島となります。大和民族はこの生命線を毅然と確保して行くべきだと考えています。

IMG_0381.jpeg(上の写真は太祖ヌルハチが政務を行った瀋陽故宮の大清門と記した満州語。下の写真は清王朝貴族が毎朝北京から東方の故郷に向かって合掌したという「紫気(紫禁故宮)は東から来る」)

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