太湖周辺と霊山大仏の仏教テーマパークは無錫の二大観光名所になっています。
私は気が進まぬまま話しの種に霊山大仏の観光に行ってきました。1997年に落成したいかにも拝金主義的な仏教テーマパークとなっています。私、何が気に入らないかと言えば、第一に霊山の「霊」が、人を小馬鹿にしたような「灵」、「ヨ」の下に「火」の簡体字(略字)になっていることです。それに入園料金が当地の物価水準からみて馬鹿高い、210元(約2600円)も気に入らない。入園するの止めようかと思った。全てに商業主義が見え見えで、仏像だけ造って魂が入ってないのが気に入らない。88メールの大仏とかで、なんでも世界一の外箱だけ競って誇る、つまらん後進国根性が気に入らない。
それほど気に入らないのなら行かなければいいのに、無理して行くとロクな事が無く、入園(拝寺でない)して門をくぐったとたんにカメラを落として壊してしまった。撮影ができなくなったのは我が潜在意識がなせる技か。
入口から大仏まで歩いて約20分ほどだが、道中に仏像、仏像、どこまで行っても仏像と、仏の手、仏の足と続くとうんざりしてしまう。「誇示されたものは欠如を表す」(フロイト)で、これは信仰の欠如の表れでないかと思う。仏像の数が多ければそれが信仰心の表れというものでもない。仏像、また仏像と、歩いている間に気疲れしてしまい大仏まで行くのを止めてしまった。
観光客(参拝客でない)は、上の写真にある仏像の左手に、硬貨を投げて手の平にのった、のらないを、ゲーム感覚で笑いながら楽しんでいる。あれでは仏像が乞食になってしまう(中には真剣に参拝している人たちもいましたが)。
グロテスクな太鼓腹の布袋さんの笑っている口の中をめがけて硬貨を投げ、ここでも入った、入らないで騒いでいた。口の中に入るとご利益があるらしいが、布袋さんが左手の中指を立てているかのようで苦笑(下の写真にある布袋さんもたぶん世界一のサイズ、後方に見えるのが世界一高い大仏さん)。
私はここでとても参拝する気になれないが、彼らにしてみれば心の豊かさと癒しへの大切な通過儀礼となっています。先ずは、観光ができるようになった余裕、高い入園料を払える豊かさ、銅像に硬貨を投げ入れる遊び心、文化大革命で打ち砕かれたしまった信仰心の甦り、貧しさからの解放です。
ですから、私らはけして彼らを侮ることも、笑ってもいけない、彼らもこうして一歩一歩と文化の再建を目ざしてしているわけです。だから仏も布袋も喜んで乞食になってそれを見守っています。そして私もたとえ気が進まぬ名所でも、彼らの心態を見に出かけています。
それにしてもカメラが壊れて、彼らのコンイ投げゲームの写真を撮れずに惜しいことをしました、、、(T_T)
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