私の絵の評価は極めて直感的でして、観賞して「いいな〜」と感動するか、しないかだけとなっています。
以前バルブ経済の華かりし頃に、東京の画廊を訪問したことがあります。モネーの睡蓮の絵が5展ほど展示されていまして、どれもが特別価格で数億円とのことでしたが、見ても何にも心に伝わってくるものがありませんでした。出口の近くに「赤い門」という作品だけが心を打ちまして、画家の名を聞いたら中国人とのことでした。
数日後、モネーにしては特価なので、それでもと思い鑑定士を行かせましたら、画廊をちょっと覗いただけで、入らずに帰ってきたとのことでした。鑑定士仲間では、画廊に一展でも贋物があれば、後は見なくても全部が贋物と判定するようでした。この「一つが偽ものなら、全部が偽もの」という判定基準は、私が実生活を活きて行く際にもいい教訓となりました。しかし、今でも出口に掛けてあった絵だけは本物だった思う(そう自分の目を信じたい)。思うにあの中国人画家が(食べる為に)モネーの習作を描いたのではないかと推測しています。
前置きが長くなりまいたが、先日、ノルウェーの画家エドバルド・ムンクの代表作「叫び」が、オクションにかけられ、美術品史上最高額の約96億円で落札されたといいます。
私はこの「叫び」の作品は、見ていているだけで不快と不安感を煽るので大嫌いでして、よくこんな作品を高額で買う人がいるものだと思った。たぶんどこかの美術館のコレクションと思うが、私ならタダでくれるといっても、けして自分の部屋に掛けようとは思わない。それくらい嫌いというインパクトがあるから名作なのだろうが、私はこうした病的な作品を評価しない。まぁ、人それぞれだから、それでいいが。
オクションと言えば、最近、中国の富裕層が世界各地のオクションから、中国の骨董を買い漁っている(買い戻す)ことが、ニュースになっていましたが、なんとその一人が、我が古き知人だったことを知り呆れてしまった。彼は各代のいい仏像を収集していましたが、博物館に仏像が百体陳列されていても、仏の心が百あるわけでなく、仏の心は一つなのですから、仏像は一体あれば足り、それほど収集しなくても、本人が仏の慈悲をもって仏になりきればいいわけなのですが、これも前世の業なのでしょうか。
ムンクの作品を買う人も、あながちこのような人なのかと思います。「なんかムンクある?」と言われてしまえば、これも人生のオクションで、人それぞれですから、別にムンクありません。
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