
アモイ島から第1位の観光スポット「音楽の島」「海上の花園」と呼ばれるコロンス島に渡りました。アモイ島からフェリーで8分ほどの500メートルの鼻先に在り、日本の湘南から江ノ島へ渡る感覚です。
地政学という学問がありまして、民族や人間に宿命があるように、その土地にも地理的条件による宿命があるというものですが、潮風に吹かれながら海岸を歩いていると、この島の宿命のようなものが感じられてきます。
コロンス島は漢字で「鼓浪嶼」書き、中国で35選に選ばれている景観地です。島の面積は約2平方キロ、人口は2万3000人余りに規制されています。
海賊が跋扈していたこの島が、国際舞台に登場してくるのは、大航海時代の明朝末期に活躍した鄭成功が、この島を根城に反清朝を旗揚げして軍隊を組織したことに始まります。鄭成功は日本人を母として平戸に生まれ7歳まで育ったことから、日本にもフアンが多く、近松門左衛門作の「国性爺合戦」にもなっています。
鄭成功軍は清朝の力がアモイまで押寄せて危なくなると根拠地を台湾に移しました。当時の台湾とは台南のことで、1620年代からオランダ人が占拠していましたが、鄭成功は2万5千の兵を数百の船に乗せて台南に上陸し9ヶ月でオランダを降伏させました。清朝でなく前政権の明朝ながらも中国の軍隊が台湾へ入ったのはこれが最初となりました。オランダ人を追い払って中国人の政権を打ち立てた事が、今でも台湾と中国の両方で民族の英雄として崇拝されています。

こうした歴史的な背景から、島にはたくさんの花園が残り、租界の住人たちが島を立ち去る時にピアノをたくさん残してゆきました。島にはピアノの音楽学校があり、ピアノのある家庭が5戸に1台といわれ、世界一の所有率となっています。
1966年から巻き起こった文化大革命の時に、西洋音楽の演奏が禁じられピアノが弾圧の対照になりました。そこでこの島出身の音楽家たちは、洗星海が創作の革命的で愛国的な「黄河大合唱」をピアノ協奏曲に編曲し、毛沢東に聞かせることで荒れ狂う文化大革命の嵐からピアノを守り抜き、「音楽の島」の対面を保持したと言われています。この物語をどなたかに映画化してもらいたいものです。
今日も島内を散策すると浪うつ鼓の音に協奏してピアノの調べが流れています。


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