私が海外でよく受ける質問に「東京の物価は高くて驚くが、どうやって生活しているのか?」というものです。
その時に私はいつも「それがわからないから、こうしてアメリカで生活している」と返答しています。
私は日本で円高を考慮しないで使っていますが、今の為替レートで換算しますと物価が高過ぎてなにも買えなくなってしまいます。もし私が日本人でなかったら、たぶん日本を素通りしているかと思う。
海外を飛び回っていますと自然に為替レートとその国の物価に敏感になります。私がパリやロンドンを敬遠するのは物価高がおおいに関係しています。私はかつてイタリアで実生活から乖離した異常な物価高に驚き、この国の経済危機を感じとっていましたが、今そうなっています。
2月にイギリスのエコノミスト誌の調査で、世界で最も生活費のかかる都市のランク付けが発表になりました。年2回行われるこのランキングは、世界131の都市を対象に、食品、衣類、家賃、光熱費、交通費、学費など5万品目の単価を調べ、その国の通貨レートを考慮し、ニューヨークを100として算出して指数の高い順にランク付けされています。
今回1位がチューリヒで、EUの金融不安からスイスフランの高騰により5位から急上昇して、東京は2位に後退。3位はジュネーブ、4位は大阪・神戸、5位はオスロ、6位はパリ、7位はシドニー、8位メルボルン、9位はシンガポール、10位はフランクフルトとなっています。北アメリカでは、カナダのバンクーバーが37位、ロスアンゼルス42位(上海、モスクワも同位)、ニューヨークは47位でした。中国関連では香港が22位、北京が51位になっています。
東京は常連の上位ランクになってますが、それでも日本経済の停滞はデフレにあるとしてインフレを煽っていますが、どうも納得がいかないでいます。インフレでさらに物価高になれば、世界市場から浮き上がってしまい、ギリシャ、イタリアの二の舞になりはしないかと危惧しています。今度は私が「東京はどうやって生活して行くのか?」と質問したくなります。
私はマクロ経済にうとく、現場におけるミクロ経済の感触でしか判断できませんが、日本経済の停滞はデフレにあるのでなく、物価高にあると考えています。別にインフレを扇らなくても為替レートを120円に戻すだけで経済は活気づくことと思う。実体経済の現場からみれば日本円の実力は120円程度です。このままでは日本企業の海外移転が加速し日本は空洞化と失業で破綻してしまいます。これは金融為替だけの円高でして、実体経済は87円ほど強くないことは、製造業の苦境をみれば明らかです。どうみてもこれは企業努力を越えています。当面120円はともかく、少なくても100円前後により戻すべきかと考えます。
さて、それでは明日から2月いっぱい、47位の物価的には住みやすいニューヨークから、2位の東京を経由し、42位の上海とアモイへ出かけてきます。
今日もアメリカ「3つのS」の書き込みになります。
12日に第54回グラミー賞の授賞式が開催されました。会場は2日前に亡くなった世界的歌姫ホイットニー・ヒューストンの追悼ムードで始まりましたが、ステージの方ではイギリス出身のシンガー・ソングライターのアデルが、最優秀アルバム、最優秀楽曲など6冠を獲得して、世界の歌姫として認知されました。昨年アデルは喉からの出血を繰り返して手術を受けたといいますが、この日は受賞曲「ローリング・イン・ザ・ディープ」を、熱唱して健在ぶりを披露しました。
トホホのおじさん、このグラミー賞までアデルを知らなかったが、19才でのデビュー・アルバム「19」が、イギリスでヒット・チャート1位となり、すでにこのグラミー賞の新人賞を獲得していました。ついで21才の時にセカンド・アルバム「21」が、アメリカをはじめ全世界19カ国で1位を獲得していました。今年は「23」でもリリースするのだろうか。
ホイットニー・ヒューストンが、不滅の名曲「I will always love you」を残して逝かれ、次のスターが「Rolling
in the Deep」から産まれてきました。ショービジネスで成功することは大変だと思うが、成功を維持して行くのも大変なことだろうと思う。ホイットニー・ヒューストンの澄んだ天使の美声は薬物使用ですでに萎えていたし、アデルにしても喉の傷みからとうぶん恋に専念すると、5年間の休養を匂わせています。スターは超新星として最も輝きを増す時、その天命を受けておおいに光り輝けばいい。
今日ホイットニー・ヒューストンは産まれ故郷ニュージャージ州の教会へ帰り、静かに密葬が行われるという。かって彼女が聖歌隊で歌っていた教会に追悼曲が流れ、彼女はスターとして蘇っていることと思う。
教会は私の家から車で15分ほどの所に在り、I will always love you.が響いてくるかのようです。
追記;ホイットニー・ヒューストンは私の町のお墓に(家から車で5分)眠るそうです。
Bittersweet memories that is all I'm taking with me.
So, goodbye. Please, don't cry.
We both know I'm not what you, you need.
And I will always love you.
このところ何故か上方落語のカリスマであった桂枝雀の落語を聴いて抱腹絶倒している。
昨晩も床のなかで夜中の1時半まで聴いてしまった。昨晩は「茶漬えんま」のお題目で、閻魔さんがお茶ずけを食べる演し物。キリスト、釈迦、孔子、マホメッドもでてくる極楽バタバタ物語。
閻魔さんに連れられて極楽へ物見遊山に行った粗忽者が、極楽に居る人の足を踏みつけてしまい謝っているところから珍問答が始まる;
「極楽にはあなたも私もない。あなたとか私とか、個があるのは娑婆のこと。極楽では、あなたは私で、私はあなた。私があなたで、あなたが私」、「私は私で、あなたも私。あなたは私で、私はあなた。」「私も私、あなたもあなた。あなたもあなたで、私も私」。
「あなたが私の足を踏んで謝っているが、そうではない。いわば、あなたがあなた自身の足を踏んだようなもの。私もあなたなのですから、言い替えると、
あなたは私、私はあなた。あなたは私で、私はあなたなのですから。私があなたの足を踏んだようなもの。」
粗忽者は全くこれが理解できず????この珍問答が何度も繰り返される。
極楽には「私、あなた」という個の緊張関係はないという笑いのなかに、桂枝雀が笑いのテーマとする「緊張と緩和」という深い洞察が潜んでいるようです。
桂枝雀は、娑婆には個人という人間関係の緊張があって、怒るとか、悲しむには、自分と他人の境があるが、笑いはその垣根を超えて自他が一体になれる。笑うことがなぜいいかというと、笑いの世界は自他一如で「私はあなたで、あなたは私」という疑似体験ができるからという。笑っている調和の状態が、宇宙の本質に一番近づいているというのだから、なんとも深い。
個々に緊張関係があるからこそ笑いがあり、緊張があるからこそ笑いに目を向けていかなければならないという。落語の笑いは個人を超えて自他一如を疑似体験させてくれるというわけです。ここまで極められると落語もそら恐ろしくなり、そうそう極楽トンボに笑ってもいられなくなってしまう。
桂枝雀がこの境地に達していたとは恐れ入る。この天才落語家が欝になったのも宿命なのかも知れない。笑いによる疑似体験を通して、宇宙の本質「私はあなた、あなたは私」という自他一如を残して逝かれたようです。こうして見ますと、3.11の大震災以後に「絆」という言葉が流行りましたが、これはまだ自他の緊張関係、「あなたと私」に響いてきて軽く感じてきてしまう。