2020年

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 DSCN3211.jpeg(北京ー上海、新幹線マップ掲示板)

 折よく汚染物質を滞留した濃霧が消散した後に、北京--天津を旅してきた。
 今回の北京は天津に行くための経由地で、タクシーでドでかい飛行場からホテルへ、ホテルから新幹線駅の往復だけだったが、オリンピック後の北京の様変わりに感心してしまった。さすが中国、世界一の交通渋滞都市と言われながらも、よくここまでに仕上げたものだ。
 ただ、私は個人的に政治色の北京が好きになれないでいる。天安門に毛沢東の大きな肖像画と棺がある限り敬遠を決めこんでいます。それらが除去された暁に、ゆっくり観光しようと考えているのだが、私の目の黒いうちにそれが実現するか否か、我慢比べとなっている。
 そんなことで北京を素通りして新幹線駅に向い、ここでもまた駅のスケールの大きさに感心してしまった。中国の主要都市をつなぐ新幹線網が完成していた。北京--上海間を5時間半余、北京--瀋陽間を5時間でつなぎ、北京--天津間の120キロを33分でつないでいた。暴走と言われながらも、短期間によくここまで仕上げたものです。まさに鉄道は国家なりです。
 かくして北京から天津へ、中国の人は新幹線に乗っても、窓から景色を見ないということなので、実際にそうなのか視察してみた。午後2時の昼寝時という事もあり、多くの乗客は疲れた様子で寝ていた。また携帯電話している人、隣と話している人、友人とトランプしている人、一人の女性だけが外を見ていた。
 たぶん新幹線はあくまでも移動の手段という、中国人的な合理性から来ているのかも知れない。それに彼らは生きる事に精一杯で、景色を楽しんでいる心の余裕がないことにもある。活きる事のみに追われ、生活に情味というものがないのだと思う。のんびり景色など見ていたら、たちまち後から来る者に生活圏を脅かされてしまうという緊迫感のなかで生活しているからであろう。
 新幹線は一路順風、頭上に澄んだ青天が広がり、地上から20度くらいの層が大気汚染で霞がかっていた。天津市の郊外はやたらと工場の煙突が多く、濃霧になればそこから吹き出る煙だけで汚染されてしまいそうだ。そうした霞の中へ入り天津に到着。
 北京も天津市も人が住むには、大気汚染や各種の公害が限界にきていると思うのだが、2020年までに世界一の強大国をめざす中国は、生活環境を犠牲にしてでも、このまま都市開発を優先させて突っ走って行く方針のようだ。あと8年の我慢だが、それまで人がもつのか、都市がもつのか。人が住むために都市があるわけで、都市のために人が住んでいるのではないのだが、そんな屁理屈はそれまでお預けとなっている。
 それはともあれ、私は近代中国の数々の歴史舞台となった天津、古い中国と新しい中国が共存して情緒あふれる街並の散策を楽しんできた。天津は甘栗のごとくに味わい深かい街だった。
 しかし、飛行場へ向かう帰路のタクシーの中で、例によって私の目はチカチカし、喉がかすれ咳き込みが始まっていた。


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このページは、三休が2011年12月20日 14:34に書いた記事です。

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