今回のコスタリカ旅行に「悪名の棺」ー 笹川良一伝 ー(工藤美代子著、幻冬社)400ページの分厚い本を持って出かけた。
笹川良一氏は日本船舶振興会の会長、と言うより1970年代に「一休さん」の番組などのテレビ・コマーシャルで「世界は一家、人類みな兄弟」、「戸締まり用心、火の用心、一日一回よいことを、ニコニコニッコリ 日曜日」、「お父さん、お母さんを大切にしよう」に登場していた、あの目と耳の大きなこわそうなお爺さんです。
笹川氏は戦後のマスコミから、A級戦犯容疑、政治の黒幕、ギャンブラーの同元、悪の象徴と酷評され、誹謗中傷に晒され続けました。しかし、実像は全生涯にわたり、国ため、世のため、人のために政治活動、慈善活動、戦犯者の救援活動、ハンセン病救済活動を始めとした福祉事業に多大な貢献をしていた事はあまり知られていません。中村天風師の葬儀の時に、40数年来の友人代表として弔辞を読み上げているのですから、一角の人物であることは間違いないと思う。
私は笹川氏ほど実像とマスコミの虚像との落差が大きい人を他に知りません。笹川氏はメディアの誹謗中傷を、「有名税」と受け流していたが、人の評価は何を言ったかでなく、何をやったかで決まってくるものかと思う。「実を見てその樹を知る」です。「悪名の棺」の著者は、棺の蓋を開けて笹川氏の実像を掘り起こす作業をしており、実に内容のある著書となっています。
さて、前置きが長くなりましたが、笹川氏は「人生二百年」を提唱し、90歳を過ぎてからも年に十数回も海外出張を続け、「世界は一家」だから時差ボケなどないという豪傑ぶりでした。79歳になられても8人目か?の41歳年下の女性を射止め、乙女信仰的な恋情に落ち、逝かれる数年前まで現役だったといいます。御仁の心の熱さ、柔らかさと、精力絶倫ぶりに圧倒されてしまう。周りの者が御仁に近ずくとエネルギー熱で火傷してしまうような人でした。
私が海外出張した先々で、笹川氏がここにも来られていたのかという慈善事業の足跡を目にすることがありました。サンパウロの日本人街に「世界人類が平和でありますように」、また、上海の龍華寺に「我們祈祷世界人類的平和」(上の写真)と書かれた四角い白い杭が打ち立てられていました。その他の国でもこの白い杭を目にしたのですが、書きとめておくか、写真に納めて置けばよかったのですが、見るだけで通り過ぎてしまい、今になってそれがどこに在っのたか、記憶も薄らいで惜しい事をしました。
もし、コスタリカにでもあればと思い、「悪名の棺」の本を持参して出かけましたが、今回は空振りに終わってしまった。それにしても明治生まれには、すごいお爺さんがいたもんです。
コメントする