(西タンの民家に壁に貼ってあった、40年前?の
ポスター。右上に撮影禁止とある)
今週は2つの衝撃的な画像が世界を駆け巡った。
一つはリビアのカダフィ大佐の殺害。42年間の独裁政権の終焉を象徴する映像だった。世界一の大富豪なのに、最期に持っていたのは一丁の黄金の拳銃だけだった。しかも命乞いする独裁者を、ネズミ少年がその黄金の銃で射殺したとは、盛者必哀の無常さを感じる。「奪う者は奪われる」だ。お隣の金王朝もさぞや背筋に寒さが走ったことだろう。
もう一つは、今月13日に中国広東省仏山市で、狭い通りを歩いていた2歳の女児がひき逃げされた事件。防犯カメラがとらえた映像に白いワゴン車が2歳児を轢き、運転手はいったん停車した後、前輪と後輪の間に倒れている幼児を見てから、さらに後輪で轢き去って行った。
倒れたまま血を流してもだえている女児を横目に、18人の歩行者、自転車、バイクが見て見ないふりをして通り過ぎて行き、数分後に別の小型トラックがスピードを落とすことなく倒れている女児の上を轢き越えて行く映像だった。
事件発生から10分ほどして、19人目の掃除婦の女性が、女児を安全な場所に移して助けを求め、母親が駆けつけ病院に運んだが、重体のまま21日未明に亡くなった。
普通の神経の持ち主なら見るに耐えられない悲惨な映像だ。人間はここまで冷酷になれるものなのか、恐ろしくなり映像から眼を背けてしまった。できることならこんな地獄の映像はカットしてもらいたい。
微小の救いといえば、インターネットでこの映像を見た多くの中国の人が、中国社会の道徳心の廃頽に衝撃を受け、「仏山に仏はいない」と抗議が巻き起こったことです。
中国の人はけしてここまで非情ではない。知り合えば多くの人は情深く良い人たちです。この非情さにはこの国に内在している社会病理現象のが潜んでいます。
昨年13万人を対象に、「転んだ老人を助けるか」のアンケートを実施したところ。「助ける」と回答したのはわずか4%でした。「助けない」と回答した人の87%が、「助けた後が怖いから」という理由からでした。この女児事件で助けたのは19人中に1人で、奇しくも4%の回答とほぼ一致しています。
しかし、このアンケートで、自分は「助けない」が「助けるべき」とする回答が65%、「状況による」が27%になっていますから、人情や道徳心がないわけではありません。ただ助けることで、言いがかりをつけられたり、危害が我が身にふりかかり、賠償や訴訟沙汰になりかねない危惧があるからです。実際にも助けたことで加害者扱いを受けトラブルに巻き込まれ賠償や裁判沙汰が多発してます。そんなことで87%の人が「助けない」と回答しているわけです。人の命よりも面倒の方に比重があるのだろう。まさにニヒリズム社会です。
しかし、これが解放後の中国社会の行く道なのか。かっては上の写真にように、貧しい中でも瞳が輝き「友の為に」とあった。どこでこんな社会になってしまったのか。物の豊かさと心の貧しさが反比例している感じがする。私は中国がこうした心貧しい社会になっていくことを、心から憂えています。同時に文化と道徳の廃退から復興をしてくれることを願っています。
月にロケットを飛ばすのも構わんが、もっと地に在る人の命と心に眼を向けてもらいたいものだ。
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