大丈夫(大旦那)

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 最近になって私の対中国観はすいぶん変ってきた。中国に何か起こっても、数千年前から相変わらずで、こんなもんだと目線を変えたら、腹もたたなくなり批判もしなくなった。私もすいぶんと大人しくなったものです。変革など期待せずにあるがまま、民度の敷居を低くしてしまった。
 先週、あるお店で自社の商品が半値以下で販売されていた。買って調べると、光栄にも100%パクリ(フエイク)商品。よくここまでと、お見事!腹の立つ気も起きない。自社の仕入れ値より安いので、今度はこのパクリ工場から購入しようかと思っている。
 最近また100元(約1200円)の偽札が、市中に出回っているようです。今回の偽札はATMもすり抜けるようで、人民銀行が注意を呼びかけています。いくら注意しても相手も巧妙、こちらが100元札を渡すと、瞬時に偽札とすり替えて「あんたのこれ偽札だから使えない」と偽札を返されて、さらにもう1枚となる。まるで手品のようだ。それに銀行のATMからお札が出てくれば、これはもう不可抗力で泣き寝り(ほんとATaMaに来る)。
 私も一度だけ50元の偽札を掴まされことがあり、翌日そうとは知らずに使ったら、「これ偽札だめ!」と言われて、初めて気がついた経験がある。タクシーに乗る時は小銭を使い、できるだけおつりのないようにしているのだが、たまたま小銭がなくて100元札を使い、薄暗い中でおつりを70元もらったら、その内の50元が偽札だった。彼らに言わせると、不注意にもらった方が悪いのである。ちょっとしたババ抜きゲームだ。まぁ、いい記念のお土産として持ち帰り机の中にしまってある。そして、時折ババをながめては自分のアホに苦笑いしている。
 しかし、お店でお札を使うと店員がすぐさまその紙幣を両手に持って高くかかげてスカして見る。自国のお札にこのしぐさという文化はさびしものだ。私はこの国をスカしてみたくなってしまう(
アメリカも100ドル札を使うとチェックするが)。
 中国民族はこうして数千年来、生き残ってきたわけで、こんなもんだと思えば、どうってことない。おかげ様で私も何があっても大丈夫(中国語では大旦那)になりました。

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このページは、三休が2011年8月19日 02:47に書いた記事です。

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