民主党のマニフェストに「最小不幸社会の実現」というのがある。
なんだこれ?「最小」「不幸」、なんともネガティブで後ろ向き標語だろう。もうこの発想だけで末期カン内閣はだめだな。いかにも「みんな貧しい小さな不幸」という、古き19世紀の社会主義的な発想だ。こんな貧しい発想で政治をやられたら、福島原発の被災者もたまったものでない。原発リスクのため都会から北海道へ引っ越しする家族もある。
孔子曰く「悪政は原発(虎)より猛なり」だ(そういえば11日のブログのカエルだが、内閣にも手足を切られた面だけのカエルがいた)。
7月中旬にブータンへ旅行してきます。本サイトのTOPページにブータンの子供たちの写真を掲載していますし、2月23日付けブログで「ブータン王国」を書きましたが、私の夏のイベント旅行になっています。
2月に旅行計画を立てた時には、ただなんとなく世界一幸せなブータン王国を「今」見ておきたいと思ったわけです。
その後、日本に大震災が襲い電力の供給が30%ほど減少し、30年前の日本の活力になってしまいました。私たちはこのまま三昔前の日本に甘んじられるのだろうか。これからの再生に30%の電力減少で復興できるのだろうか。原発に反対する人は三昔前の生活になることを覚悟して反対しているのだろうか。復興にエネルギーが必要になりますが、原発に代わる電力をどうするのだろうか。あるいは、日本はこのまま没落し停滞に入るのだろうか。誇り高き日本人がその没落を受け入れられるのだろうか。果たして、日本が世界の先進国に先駆けて、これまでの国民総生産(GDP)的な方向から、国民総幸福(GNH)へ、パラダイムの転換ができるのだろうか。美とは調和であり「美しい国づくり」こそ、日本が日本を実践することなのか。国民総美量(GNB)は可能か。これから何を選択して行けばよいのか。
私たちはこの国に生まれ、この国を来たときよりも美しくして逝くのが、今この国に生きている私たちの子孫に対しての責務でもあります。大きなお世話の老爺心なのだが、大震災以来、日本の行く末をあれこれ憂国し、頭が重く眠れぬ夜となっています。
仏教王国ブータンは、世界潮流の川岸で、国民総生産でなく、国民総幸福量を追求しています。富と幸福の間の関連性は低く、物質的な富では幸せにならない。外的な生産量より、内的な幸福量を重視し、因縁あるみんなの幸せこそが人生の価値をきめるという指標です。ヒマラヤの秘境に位置し、人口約70万人、その85%が農民、1万人の軍隊という小さな国のため、世界への影響力は限られたものになっていますが、たとえそれがわずかな振動であっても、ヒマラヤの秘境から発信を続けることに、ブータンの世界史的な意義があります。
このブータンも1999年から国内テレビ放送とインターネットが開始され、テレビがブータンの客間を独占し始めました。インターネットの情報が世界化を促し、皮肉なことにシャングリラの国がテレビの中のシャングリラに憧憬しています。これからブータンも世俗化が浸透してゆくと思いますが、それでも地政学的にみてその世俗化に限度があり、この国はこれからもブータンとして在り続けると思います。
そんなブータン王国に、何かのヒントを求めて出かけてきます。
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