イワシの頭

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 後知恵になってしまったが、私自身の心の整理のため、坂篤郎氏の著書「巨大地震」(角川新書)を読んでいる。出版は2005年ですから今回の東北巨大地震の6年前になります。前内閣審議官の著者と他8名の地震震災プロジェクトチームによる、地震被害・防災シミュレーションの報告書になっています。世の中には奇特な人がいるもんです。
 巨大地震はいずれどこかに必ず来るので、できるだけの準備しておくことが生きるうえでの知恵として、防災対策をこと細かく提起しています。さすがに原子力発電のことまで言及していませんが、「近い将来発生すると考えられている宮城県沖地震」と書いてありました。また津波による被害を想定し、明治三陸沖津波(1896年)の時は、20メートルを超える大津波であったことを記しています。そうしますと、福島原発の防潮堤を15メートルで済ませたことは、想定外ではなく、想定内の天災+人災だったことになります。あきらかに人災なのに、想定外として組織ぐるみで責任逃れをしていることになります。責任の所在を曖昧にしてお互いにかばい合う日本的な組織が裏目にでています。
 さらにひどい無責任な人災はカン首相です。私はこのブログで政治的な批判は控えてまして、これからもそのつもりですが、今回は政治批判としてでなく、人道という信義から書き進めます。
 6月2日に於ける内閣不信任決議案の採決において、
カン(あえて敬称を略)は、人の道として一番やってはいけない醜悪な禁じ手を使いました。人の道を外れることを外道といいます。仲間も国民も裏切る卑劣なペテン行為です。

 政治の世界に信義など三文の値打もないのか知れないが、最低限度のルールが無ければ民主政治はなりたたない。リーダーたるもの言葉に責任を持たねばならないのに、醜悪な騙しを私たちの前に曝けだし、国民を愚弄しました。政治の世界といえどもこんなことがまかり通るわけがないのに、権力に目が眩んでなにも見えなくなたようです。
 もし国民が政治と政治家を信用しなくなったらその国は滅びる
。カンの責任感の皆無の核心は、「すべての責任は他にあり自分にはない」とする資質から出ています。リーダーには、いわんや首相の権力には責任がともなうものなのだが、そうした自覚が全くない。ここまで外道だったとは想定外。昔なら切腹で、それができぬのなら天誅です。
 まぁ、カンの事はもうどうでもいいのですが、地震、津波、原発に続ぐ第4のカン災害は、私たち
国民がカンを頭にいだいたわけですから、私たちが招いた人災でもあり、国民にも反省と責任の自覚を促したい。組織とイワシは頭から腐って行きます。国民がこの腐れ頭に汚染されないように用心したいものです。

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このページは、三休が2011年6月 4日 03:57に書いた記事です。

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