天上の火

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 ギリシャ神話に天上から火を盗みだして、人類に与えたプロメテウスの話があります。人類はその火を使文明を築いてゆきます。

 天上から火を盗み出す行為は、ギリシャの神々に背く罰せられるもので、プロメテスが天上から火を盗み出して人間に与えた結果、ゼスの怒りをかい、コーカサスの山頂の岩壁に鎖でつながれ、永遠にハゲタカに肝臓を食い裂かれ続けるという過酷な刑に処されました。プロメテスは不死身なゆえにハゲタカに肝臓をついばまれてもすぐに復元し、傷が癒えるとまた食い裂かれて永遠に苦しみ続けることになります。
 人間に火を与えたことがそれほど憎むべき罪なのか、ギリシャの神のみぞ知るところですが、
神に反抗することによって地上に楽園を築き、神の聖域に挑戦にすることで、自らが不可避的にそれ相応の罰を受けるという悲劇神話です。
 天上から第二の火といわれる原子力を盗み出して、現代文明を築いて来た人間もまた第二のプロメテウスなのか。悲劇的な運命を予感しながらも原子力に恐る恐る近づき、電力を解放した罰の恐ろしさを自覚しつつあえてその罰を甘受する覚悟で、悲劇の深淵に近づきました。人間の肝臓は55日で新しい細胞に代謝されるといいますから、またハゲタカに食い裂かれる運命なのか。もしそうなら、人間とはなんと不条理な生き物なのでしょう。
 さりとて、昨日まで、そして今日もなお電力の恩恵を享受してきた者が、手の平を返したように、脱原発、反原発を怒り叫ぶことにも、なにか違和感を覚えてしまう。たしかに反原発を叫べば社会的な受けはいいかも知れないが、そこにはこれまで受けてきた恩恵に対して感謝の気持もなく、プロメテウスの文明的な苦悩が無視されています。お世話になったのだから「お疲れさまでした。もうこれからは休んでください」といった謝辞があってもいい。こちらにも反省と感謝がなければ復興もおぼつかない。
 現実に起こってしまった未来は、現実で対処してゆくしかなく
理想だけでは解決できません。まず子供たちのためにいち早く汚染された大地を拭き払うことです。そして今はプロメテウスの苦悩を、自分たちの苦悩として引き受け、ここで少し立ち止まり、未来社会を見つめ、これからのエネルギー問題を、どのように扱って行けばよいのかを、真剣に考えてゆく時だと思う。

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このページは、三休が2011年6月 1日 00:36に書いた記事です。

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