IMG_6011.jpg 帰国してまる3ヶ月になる。
 東京に出掛けて行くと電車内でマスクスマホ族に囲まれて日本に帰ってきた感じがしない。
 息苦しさから逃れるため上野駅の本屋に駆け込み深呼吸し、宮本雄二元中国大使著「2035年の中国」ー習近平路線は生き残るかーを購入。著者はそれを決めるのは国民としています。
 4月20日の発売なのでコロナ後の日近の政情まで論究していまして大変参考になりました。さすがに一流の中国通でしてバランスの取れた外交官です。
 感情を交えず自己主張もせず、奥歯にものが挟まった言い回しながらも冷静に現実分析をしていました。
 さてさて「2035年の中国」はどうなることか。私は中国人は依然存在するが、中共独裁政治は崩壊していると分析します。
 私はここらあたりを素浪人中国通として、感情を交えて、大きく自己主張をして書いてみたく考えています。

太陽と風

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IMG_5965.jpg 今日の天風メルマガは「健康的な住宅」と題して;
「人間の生活に、住居がその緊要の条件の一つであることは、議論の必要のないことで、でき得る限り風通しのよいこと。言い換えれば、空気流通のよいこと。日当りのよいこと。明るい室をもつ家であること」でした。私の新築もこの条件に沿って設計し、「富岡製糸場」とコーディネートさせました。
 昨日は8時間ほどかけて電化製品、家具一式、カーテンを買い揃えました。テレビは予定外でしたが、ユーチューブに接続できるとのことで購入。
 1階は洋式リビングルームと仕事部屋、2階は朝の行修場、寝室、和室、床の間にしました。床の間には天風の円相のお軸をかけます。ベットは1階か2階かで考えた末に2階に置く事にしました。
 6月からこの新居で活動が始まります。

コロナが明けて

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IMG_5931.jpg 5月に入りあっという間に2週間が過ぎてしまった。
 2日から5日まで江ノ島に鎌倉春期天風行修会に参加し江ノ島海岸で打坐をしてきました。ついで13日、14日は東京の「新緑二日行修会」に参加してきました。この第一講義の時に講師が、天風会認定書でない私の著書「天風式ヨーガと瞑想のすすめ」を、手に掲げて紹介と推薦してくれました。異例な事なので考えてもいなかったのでこれは驚きでした。素直に嬉しかったです。
IMG_5940.jpg 20日も天風会「空の言の葉」をテーマにして「天風とカリアッパ師との対話をよむ」を拝聴してきます。
 天風会もコロナが明けて一斉に動きはじめ各地で修練会が開催されています。
 私にとっては、帰国後のメンタルの調整が目的でしておかげさまでかなり復調してきました。ここで一段落です。

昭和の日

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IMG_5888.jpg 昭和の日もGWのはじめの日くらいで過ぎてしまった。「昭和も遠くなりにけり」で、かって我々団塊の世代は、明治が遠い感覚でしたが、それが昭和になってしまった。さらには小子高齢社会化が現実の課題になっていました。
 帰国して今日で2ヶ月10日となり、卯月から皐月に入ります。
 4月に新築完成予定が、5月下旬にずれ込みましたが、完成を待たずに予定通り活動を開始します。
 11月出版を目処に台湾関連本の出筆をはじめます。また、江ノ島に3泊、東京を4往復、高崎に2回となっています。動かぬことには体が鈍ってしまう。
 それに、ここ数ヶ月のブログは、個人的な記載が多かったですが、5月からは台湾関連と天風哲理を主軸に公的な内容に戻りたく思っています。
 さて、

ハナミズキ

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IMG_5870.jpg 帰国して今日でまる2ヶ月となりました。
 そんなことで習いたてのアシスト自転車に乗りハナミズキの並木を通り亡き妻の墓まいりをし、墓石に水をかけてきました。
 途中に気温が26度ほど上がった暑さと湿度の中を、往復40分サイクリングしたら夕刻になって目が回り始め熱中症の洗礼を受けてしまった。
 アメリカで熱中症など考えてもみなかったので油断でした。いとも簡単に熱中症になるとはいい経験になりました。 

IMG_5852.jpg     「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」(天風)
 17日、曇り空の京都駅から「のぞみ」に乗り東京へ向かった。
 名古屋駅を通過すると雲間から青空が広がり、もしかすると富士が見えるかも知れないと思い始め、掛川駅を通過する「のぞみ」の中でもう胸がワクワクしてきました。
 かくして富士見駅を通過すると文字通り富士が現れました。遠慮深い富士でして、3月と4月にここを往復して初めて顔を出したので、私も帰国の挨拶ができました。富士はいい!
 私の恩師はいつも朝明けの赤富士から霊感(インスピレーション)を受けたと言ってましたが、今回、私も富士を眺めた瞬時に著書の構想に閃くものがありました。
 さて、11月の出版として陽の目を見るか、それとも曇りかは富士に聞きいてください。

IMG_5866.jpg 京都駅に着くと外国人観光客が列をなしていました。やはり京都は観光都市として別格ですね。日本の文化力です。やはり訪日客回復181万人とのことです。
 私は観光でなく夫婦ともに89歳になる旧友を訪ねての京都でした。その友人の招待で京都の春の風物詩、令和五年第百十九回「都をどり」の柿落とし公演を鑑賞しました。会場は満員でした。
 私は漢字にこだわる習性があるのですが、無教養にも「柿落とし」(こけらおとし)」が、読めませんでした。なんでカキが落ちると「柿落とし」になるのかと踊りを見ながら考えてしまいました。
 家に帰り調べましたら無教養パソコンの字体では「柿」と「柿」は同じだが、実際は字体が少し違っていました。それにひらがなも「おどり」でなく「をどり」とこだわっていました。
 高価な一等観覧券で、先ずは舞妓はんのたてたお茶をいただき、2部として舞妓はんの艶やかな舞踊の鑑賞でした。公演は素晴らしいものでした。 
 夜は琵琶湖に移動し湖畔の温泉宿に宿泊でした。
   「生き活きと 琵琶湖に泳ぐ 鯉のぼり」(三休)
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IMG_5628.jpg 山重水複疑無路 柳暗花明又一村
 (山が幾重にもかさなり、川もうねうねと曲がりくねって、この先は行き止まりかと思いきや、仄暗くおいしげった柳の向こうに色鮮やかな桃の花に囲まれた村があった)。
 台北に着くとホテルの裏手にある「又一村」水餃子店に先ずたちよります。私にとり「又一つの村」に来た感覚なのです。
IMG_5645.jpg 入り口のウインドウから胡瓜の酢漬けと細切り豆腐の小菜を注文しテーブルに座り、酸辣湯と水餃子を運んでもらいます。もうこれだけで幸せを感じてしまう。
 9日に台北から東京に帰ってきたが、機内は台湾の人でほぼ満員。羽田空港もホテルも台湾の人で賑わっていました。台湾は日本の人口の5分の1なのにパスポート所持者は日本人と同数のようです。まさに海洋民族です。
 私は明日から京都と琵琶湖に3泊で出かけてきますが、たぶんここでも台湾の人で賑わっているかと思う。面白いことに彼らは中国人観光客と見られることを嫌い、若者はバックパックに「我是台湾人」と札をつけたり、台湾と一目でわかる印をつけて差別化しています。
 私も間違えられぬよう「我是日本人」と札を付けて行こうかと、、、
 「京にても 京なつかしや ほととぎす」(芭蕉)

日本加油

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IMG_5690.jpg 高雄から車で3時間かけ「日月潭」に入る。
 以前にもこの風景を見たのだが記憶に残っていない。湖畔を半周してから、ホテルのテラスから眺める風景はやはり台湾の名勝地でした。
IMG_5724.jpg 翌日7日は、更に山中を1時間かけて標高1600mまで上がり友人の山荘に1泊。
 驚いたことにこの地域の山中に民宿が建ち並び、ちょっとしたリゾート地になっていました。
 更に驚いたことは、台湾は九州ほどの島国なのに3000m 以上の山が268あり、富士山より高い山が10あるとのことでした。宿泊したのはその山中でした。
IMG_5749.jpgこんな山奥まで人々で賑わうとは台湾も変わったものと思いましたら、ついに今年の台湾の1人当たりのGDPは日本を抜いていまして、いつまでも昔の台湾でありません。
 私の台湾知識があまりに政治、経済に偏り過ぎ自然、文化の知識がかくも薄っぺらだったことに衝撃を受けました。一から勉強のやり直しが必要となりました。
IMG_5767.jpg 8日は折よく台湾永遠的朋友「安倍晋三紀念撮像展」に立ち寄りましたら、ここでもたくさんの参観者でした。
IMG_5759.jpg 安倍氏直筆の色紙「台湾加油」を抱えた立像が展示されていて、その前で、参観者が色紙を抱えて紀念写真を撮れるようになっていました。でも、私にはこれが「日本加油(がんばれ)」に読めてしかたなかった。

清明節

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IMG_5634.jpg 4月3日いろいろな思い出がある港街「基隆」に行ってきました。
 今日その思い出を持って台南に行き「清明節(お盆)」霊拝してきました。台湾は基本的には仏教国(道教)なので、たくさんの人が墓参りとなります。
IMG_5657.jpg 多くの人がエレベーターの前で長い列となるため、八階に安置されている遺牌まで一気に駆け上っての霊拝でした。
 これで今回の旅の主目的が終わり、明日から日月潭の観光となります。
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