02. 3つの心

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(モナコの三姉妹)

 ─ 本能心・理性心・霊性心 ─

 人間の心の働きを論究してゆきますと、もうそれだけで一冊の本になってしまうほど複雑ですので、それらは心理学者にお任せしてここでは大まかに、本能心、理性心、霊性心に分類して書き進めます。
 人類の脳がこれからも進化の過程にあるとしたら、未来の進化は肉体方面でなく精神方面なると思います。古い脳から新しい脳へ進化して行くのにともない、それにともない心も本能心から理性心へ、やがて理性心を超えて霊性心へと進化してい行くのではないかという仮説から入ることにします。
 
 大げさに言えば、霊性心の発現という心の飛躍が、最近話題になっています次元上昇(アセンション)ではと解釈しています。
 思考する脳の進化は心の進化でもあり、未来の人間は利己的な思考、権力欲、貧欲といったものから解放されて、たとえ肉体的な快楽を享受しても、本能心に支配されず、肉体による束縛を脱し、理性心の延長線上に霊性心の発現へと進化して行くのではないかと思います。

 地球に生命が誕生して38億年、人類が誕生して5億年のなかで人間の脳の進化は最高の傑作といえます。約700〜500万年前に人類と猿とが分かれた頃の脳は、猿とあまり変わらない程度でした。
 人類は350万年前に二本足で立ちあがり、草原にでて急激に新しい脳を発達させて行きました。チンパージの脳は人間の4分の1程度で、単純な道具は使えますが造ることはできません。人間の発達した大脳新皮質は、その知性から道具を造り、火を支配し始めました。そしてついには人類を月へ飛ばし、原子力の火まで使い始めました。人間が万物の霊長といわれる由縁です。
 
1万年前に草原をでて小麦との出合い農耕を始めることで人口が爆発的に膨張し、その生活環境の変化に合わせて社会生活を維持する理性的な脳を進化させて行きました。進化というものは遺伝子が本来もっている一つの機能であり、非常に退屈な長い時間と非常に短い時間に急激な変化が起こすようです。

 <本能心 vs 理性心>


 古い脳から起こる本能心は、私たちの肉体生命を維持し生かしてゆくために働いています。
 説明するまでもないのですが、本能は肉体を有する動物、爬虫類から昆虫やアミーバーに至る生物にもあります。古い脳は魚やトカゲや恐竜の脳から多く引き継いでいますので爬虫類脳とも呼ばれています。
 古い脳は新しい脳が進化することで代謝されたかと思われましたが、脳の奥や側辺に留存し今でも脳全体と体に影響をおよぼしています。本能心は無意識のうちに欲するままに行動し、食欲により生命を維持し、性欲により種族を維持し、眠ければ睡眠をうながし、欲求が満たされれば快適さを感じ、満たされないと不快を感じるという、生存状況を感知する感情を備えています。
 本能心は生命を維持するために必要ですが、常に理性心で適度にコントロールして行きませんと、すぐさま勝手に暴れだし果てには社会的犯罪行為などが生まれたりします。
 また、古い脳は遺伝子からの情報もありますから、自分が経験してないことまで知っていまして、時にそのネジがゆるむと妄想念がでたり、おかしな行動したり、天才にも狂気にもなり得る可能性を秘めています。時にはやさしい天使にもなり、時には凶暴な悪魔にもなったりもしています。

 この古い脳の上に大きくおおいかぶさるようにして発達してきたのが大脳新皮質で人間特有の高度な新しい脳です。この新しい脳から発達した理性心は、古い脳から起こる本能心の興奮や情動を制御しバランスをとりながら社会秩序を維持しています。
 人間は大脳新皮質という新しい脳を進化させたことで物事を比較検討し、連想し、推理し、判断するという理性的な思考活動を発達させてきました。理性心は大脳新皮質の前頭葉を活発に使い集団社会のなかに適応してゆく働きをしています。理性心は他の生物にない人間だけに与えられた高度な意識で、
近代の神なき時代にあって神の代理人として「理性の王国」を創りあげました。倫理道徳をもとに物事の是非善悪を判断し、本能心から湧き出てくる衝動や感情情念を抑制させて社会の安全維持のはかってきました。理性による本能の飼い馴らしと言えます。
 しかし、理性心は本能心とは相対的な共存関係にあるため、抑制力が弱くコントロールする力に限界があります。理性心が正当な理屈を言いうそばから生命に直結した行動をとる本能心に裏切られたりしています。理性心だけでは本能心の全てをコントロールできませんので、自分の経験と知識だけを基盤にした理性心だけで活きていますと、理性心と本能心との狭間で悩み多き人生になってしまいます。
 理性心は常に本能心との狭間でジレンマとストレスを繰り返しながらバランスをとろうとしています。理性心が本能心に勝てば理性の勝利となり、本能心に負ければ「わかっちゃいるけど、やめられない」という自己弁解を繰り返します。そして多くの人は本能心と理性心の狭間で行ったり来たりして葛藤に悩みながら一生を終えています。さらには人生は理性心と本能心の戦いなのだと思い込んでいて霊性心など少しも考えたりしません。
 心理学者ユングは「人生は理性と本能の間の戦いが、残酷に果てしなく続く舞台で、本能から起こる衝動は際限もなく自己を満足させようとするのに理性はそれを押さえることしか知らない。本能は常に理性を服従させようとし、理性がこの葛藤に負けてしまえば精神衰弱になってしまうが、人間には本能心と理性心を超えるさらに大きな心が潜在している」と、述べています。



 <霊性心>

 人間の生命のなかに本能や理性が存在するのは、生命を維持してゆくのに必要ですからこれを無視することはできません。しかし、これだけに甘んじてなんの制御もせずにいますと生命に不測の事態を招くことになります。ですからここに霊性心の煥発が必要になってきます。人間は本能的、理性的であるだけでなく、それ以上の霊性的存在でもあるからです。
 古い脳の本能心と新しい脳の理性心とは絶えず葛藤する緊張関係にありますから、これを霊性心よって調和させることが必要になります。理性は世の中の常識、知識、事実の認識によるものでして、霊性心は本心良心、智慧、真実からの働きになっています。
 本能心は肉体方面を極限まで進化させて巨大な恐竜を創り上げましたが、大きくなり過ぎて地球環境の変化に適応できず滅亡しました。生き残った人類は大脳を急激に進化させて理性が肥大化することで今度は脳内に恐竜を創り上げました。その結果として自らが創りだした核融合や地球環境の変化で生態系のバランスを崩し、人類滅亡の危機に脅かされるまでになっています。
 こうした理性心の揺らぎから、人類が未来に対し自信を喪失している今こそ本能心と理性心を超えた霊性心の発現が待たれています。霊性心が理性心から指導権を引き継いで、本能心と理性心のバランスをとりながら「本能心、理性心、霊性心」が、三心一体で人間の生命を導く時になっています。生命を維持させる本能心も社会秩序を維持させる理性心も必要ですが、両者を調和させより価値高い、豊かな人生を活きようとする時に霊性心の発現が必要になってきます。
 霊性心の発現とは本心良心からの発露となります。しかし、本心良心が理性心から発現すると錯覚しているところに難しさがあります。本心良心に従うということは、理性の判断でなく霊性心からの発露です。本心良心の発露である霊性心を本位にして、本能心を制御し、理性心を駆使して活きてゆくところに生命の飛躍的発展が実現されてきます。

 また、霊性心には真理を瞬時に直感する「ひらめき」の作用が付随されています。今日の情報化社会に理性の領域がコンピューターに代行されていくなかで「ひらめき」がますます重要になってきています。「ひらめき」はコンピューターでは代行できない霊性心の聖域となります。「ひらめき」は霊性心からの発露で刹那の直感ですから理性心のようにいま考えている事が、正しいか、正しくないかなど考える必要がありません。霊性心の智慧は理性とは断然比較にならないほど正確さをもっています。
 霊性心の中には雑念妄念がありません。雑念妄念は本能心と理性心から働きだしますが、霊性心の中では働きません。雑念妄念は霊性心の発現に大きな障害物となって霊性心が発揮されません。
 「天風の五輪書」をひたすらに実行して雑念妄念を除き去れば霊性心が自然に発現されてきます。霊性心が発現されてきますと霊感がでてきて、第六感、インスピレーションが発揮されてきます。
 五輪書の各巻に霊性心をいかに開発していくかを説示しています。人間による人間の改革は容易な道ではありません。人間の改造は人間が大理石としての素材であるとともに、人間自らが芸術家であることを意味します。霊性的人間を彫刻するために、人間は自らの素材に自らノミをふるわなかればなりません。

 以下、私のことながら、、、

 ここまで霊性心を本位にして活きろと書いてきましたが、実は私自身が本能心と理性心の間を、頻繁に行ったり来たりの毎日ですからそう偉いこと言えません。以前は本能心と理性心の間を行ったり来たりの振幅の広さが人間性の幅の広さで、「悪に強きは善にも強し」と自己弁護しています。
 ですから、これまでは危ない本能心が湧いてきたらそれを理性心が抑制してどうにか理性的な人を演じています。そして時には理性心が本能心に打ち負かされると、「あんな事やるんじゃなかった」と、己の意志の弱さを一人静かに反省しています。そしてこうした本能心と理性心の葛藤の繰り返しが、人生なのだと認識してきました。
 しかし、自分の心の中に霊性心というもう一人の自分を発掘してから心に余裕ができました。生まれながらにして持っていた霊性心が発現したことは、私にとり大きなできごとでした。心のルネッサンス、心の甦りでした。
 それからというもの本能心が暴れだした時に理性心が制御して勝ったり負けたりしている姿を、一段と高い所から霊性心が見ているようになりました。「これくらいの事で葛藤しているとは、お前もたいしたことないな」と、見守っているもう一人の自分がいます。今では「おゃまた本能心が出てきたぞ、理性心よがんばれ、お前に任せた。もし必要あらば霊性心が応援に参上するぞ」と、一人三役を演ています。理性心だけで身構えることもなくなり、肩の力を抜いてあるがまま自然体でやってます。

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