03. 3つの原理

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(バランス of ライフ)


  ─ 積極・創造・調和 ─


 20世紀の科学が理性による物理学を主流としたなら21世紀の科学は霊性による生命学であることは十分に予測されます。
 天風哲理は生命現象を実証的に探求して行く科学と、生命科学の本質を直感的に捉えた生命哲学によって構築されています。斬新な生命科学と深遠な生命哲学を主軸にして、西洋医学、心理学、ヨーガの修行体験、さらには大名の末裔の出自からくる武士道、これらを一つに集大成した哲理です。
 天風会は当初「統一医学会」の名称で設立されたよに、人の命を救といごまかしのきかない目に見える結果が要求されていましたので実践的な指導方法で体系化されています。卓上の観念哲学でなく自らが生死をかけて活き抜いてきた実体験を通した実証で構築されていますので、熱い血が通ったものになっています。
 生命原理を卓上の哲学としてでなく、原理に即した実践を重視していますので、本サイトでは「天風哲学」と称さず「天風哲理」の名称で統一しました。 また本サイトは「天風会」の公式サイトではありませんので、こちらも「天風会」と称さず、会の代称として「天風哲理」とさせてもらいました。 

 天風哲理は宙の法則と人間の法則を捉えて行く過程で、宙の実在、宙創造の真実、生命の実相に思索を向け、それらの根源を貫くものとして「積極、創造、調和」とい三つの原理に到達しています。
 「宙ー生命ー人間」を貫くものは「積極であり、創造であり、調和である」とする原理が、天風哲理の際立った特色となっています。この原理に基づいて「人間の生命は積極的で、創造的で、調和的であり」、強いものだという本体論に入っています。人間の本体は強いものだからそのまま強く活きればよいと断定しています。そして、この世の中はけして苦しいものでも、悩ましいものでないく、楽しい、嬉しい、調和した、美しい世界なのだと認識しています
 「人間は弱き者だ」とするから神仏に救いを求めたり、他力的な信仰態度が生まれたりします。また、科学的にみてなんの根拠もない易占いや迷信といったものに心が翻弄されてしまいます。天風哲理はこした非科学的思索に頼ることなく、科学と哲学を基盤にした積極的な強い心の習得法を教示しています。その教示は宙ー生命ー人間」を、統一させ調和せしめる哲理ですから、国境や、宗教、民族、人種を超えた人類に共通する普遍性を具有しています。 

 ですから1962年、天風哲人86歳の時に公益法人の申請に際しても当初から「宗教法人」とする考えはなく、天風哲理は宗教でなく立派な心理学だとして「財団法人 天風会」で申請しました。「私は教祖などと称し、自らを世に売り込むよなことはしたくない。縁のある者だけを全力を尽くして教えを説きたい」と、初志を貫いています。
 その様なことですから天風会には殿堂もなく、教祖もいませんし、お布施もありません。指導する講師や補導も専業ではなく、それぞれが他に職業をもって奉仕されています。天風哲理を縁ある人に伝えたいと願純心な会員で成り立っています。ですから誰もがいつでも気楽に門を叩くことができますし、会員でない私にもなんの条件もつけずに暖かく迎い入れてくれました。
 東京都文京区の護国寺に天風会館がありますが、その会館にしても92歳にご帰霊される年に落成したものです。その落成式の謝辞において会員の好意に感謝しながらも「道を説くのに、三寸の土地があればよい、殿堂はいらぬ」といった徹底ぶりでした。
 もし宗教法人として組織化されていましたら、当時すでに教えを受けた人が百数十万人を越えていましたから、今日とはまた違った発展をしていたかと思います。しかし、その代償として宗教組織がたどる教祖の偶像化によって天風哲理の純度が落ちてしまっていたかと思います。
 天風哲人は道を説くに殿堂はいらず。常に宇宙霊と一体といことさえ忘れなければ殿堂などなくても、どこに居よとも「われは宙霊と一体なり」で、「不孤」ならず天風哲理を実行できると述べています。「不孤」とはわれは常に宙霊と一体なのだから孤独でないといことです。組織にとらわれず大宙を殿堂とした自立自尊こそが、天風哲理の醍醐味となっています。


 <中村天風>

 「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、それよりもさらに劇的な人生を「菊水の御旗を朝風になびかせるが如くに、颯爽と吹き抜けて、活きて、生かされ、活き抜いた」お方が中村天風です。
 日本が産み出した世界に誇り得る国宝的な方でして、強烈な日本人たることによって国際人でもありました(いや、宙人だったかも知れません)。
 天風哲人は「何事も怖れるな、世の中に怖いものない、怖いのは一つだけ真理だ」と言っていますが、私にとり真理を会得した真人(リアリスト)天風も怖いです。 もし、天風哲人が今なおこの世にご存命でしたら、私など己の未熟さゆえに怖くて近くに寄りつけなかったと思います。
 私が中村天風を知った時はすでに故人となっていました。この世界しかもこの日本に、これほどすごいお方が居たことに驚喜しました。正直なところ驚喜を超えて度胆を抜かれてしまいました。それからといもの寝ても覚めても、天風、天風、天風の毎日で、頭のてっぺんから足の爪先まで全人格的にのめり込んでいきました。禅の入門に「理入」と「行入」とがありますが、私の場合は「天風入」となりました。
 さっそく全著書を読破し、独学では習得できない行修を学ぶべく日本へ飛んで帰り、夏期修練会、日曜行修に参加させてもらいました。さらに自宅の書斎や会社のオフィスにヨーガの里の写真、多くの色紙や、直弟子の伊達静さんからいただいた円相のお軸を飾り、天風と名のつく関連書籍のほとんどを本棚に並べました。
 それでもまだ足ることを知らず、かつて天風哲人が精神遍歴した世界各地へ面影を求めて追っかけです。旧満州の各地へ、香港、上海、北京へ、ニューヨークへ、ロンドンからパリ、ドイツへ、エジプトのスエズ運河からインドの門へ、果てにはヒマラヤ山脈のヨーガの里へ、行ったところで逝きし面影など何もないのを知りながらそれでも追っかけました。(馬鹿だね〜)。
 追っかけ旅行の報告を、杉山彦一会長(当時)にしますと、ニコニコした困惑顔で「わざわざそんな遠くまで行かなくも、真理は君の足元にあるよ」と、言わんばかりでした。
 「中村天風の生涯」三部作を書かれた大井満先生には、「あなたの熱心なのはよくわかるが、その時間があるなら打坐しなさい。一日行なわざれば一日遠のく。あなた自身が天風らしくふり舞えばそれでいい」と、たしなめられる始末でした。
 
天風哲人は教えを説くのに殿堂など要らずと言いましたが、教えを求めた時に護国寺の天風会館という教えの「場」が在ったことは、誠に幸いで有り難いことでした。私の様な者のために是非とも教えの「場」を継続してもらいたいものです
 これほどの天風マニアックなのですが、本サイトでは中村天風の登場を、できるだけ遠慮させてもらい哲理の方面を主題にしました。
 それには理由がありまして、天風哲人がご帰霊された年に遺言ともとれる言葉;
 「天に輝く日月にかわりはない。俺は月を観よと指をさして教えた。指をみないで月を観よ。誰が指さそとも、ささるる真理の月にかわりはない」
 この言葉に忠実であろとしました。
 天風哲人があまりにも偉大で、魅力的なものですから「真理の月」よりも「師の指」の方を見てしまいます。天風哲人の全生涯どこの部分を輪切りにして見てもどこも劇画的で痛快なものですから、ついつい道草してしまい真理への道が遠回りになってしまいます。どしても師の指を見てしまい、真理の月が「おぼろ月夜」になってしまいます。
 真理の月はなんとか探究できますが、天風師の生涯をどんなに知ったところで追随できません。中村天風の様には活きられませんし悟れません。たとえ天風師の真理瞑想の悟りを知ったたからとて、それは知識であって自分の自覚になり得えません。置かれている時代と人生体験すべてが大きく違のですから当然といえば当然です。ですから「指」を見ずに「月」を見て、自分自身の体験を通して「真理の月」を掴んで行くしかありません。それでも衝動的に「師の指」を見たくなった時は、道草をして本サイトの「天風師の面影」に書いて行こうと思っています。
 それに中村天風の関連書籍がたくさん出版されています。私が強いて書かなくてもそちらを参考にしていただければ事足ります。
 お薦めしたい書籍は、天風瞑想録「運命を拓く」(講談社)、心身統一法講演録「幸福なる人生」、「心を磨く」(PHP研究所)は、是非ともの必読本です。

 天風の生涯を綴った大井満著「戦場と瞑想」「ヨーガに生きる」「心機に転ずる」(春秋社)の三部作と、橋田雅人著「哲人中村天風抄」(広済堂)、松原一枝著「活きて生きた男」(中央公論新社)があります。
 入門書として野千代著「天風先生座談」(広済堂文庫)、最近になって「マンガ中村天風」(講談社)が出ていますが、これが結構おもしろいです。
 中村天風述「成功の実現」(日本経営合理化協会)で、生の講演に触れることができます。実はこの出版は私がやるべき仕事だと密かに意気込んで資料を整理していましたら、発行人の牟田学氏に先を越されてしまいました。さすが牟田様お見事でした。この著書が第二次天風ブームの契機となり、その後に読みやすい改訂版やたくさんの自己啓発書が出版されるよになりました。
 真理は風雪に耐え得るものです。

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