225px-Albert_Einstein_Head.jpg 「天風誦句集」の根底に一貫して宇宙的宗教感の愛が流れています。
 アインシュタインもこの宇宙的宗教感情的を「引力=愛」と定理していました。ただ、彼は科学者としてこの定理はまだ理解されぬとして、アインシュタインの娘リーゼルに、死後20年間は内容を公開しないという指示して1通の手紙を遺していました;
 「私が相対性理論を提案したとき、ごく少数の者しか私を理解しなかったが、私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。
 必要に応じて何年でも何十年でも、私が下に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい。
 現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、ある極めて強力な力がある。それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。
 この宇宙的な力は愛だ。
科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。
 愛は光だ。
それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。
 愛は引力だ。
なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。
 愛は力だ。
なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増殖させ、人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。
 愛は展開し、開示する。
 愛のために私たちは生き、また死ぬ。
愛は神であり、神は愛だ。
 この力はあらゆるものを説明し生命に意味を与える。これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。
愛に視認性を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
「E = mc2」の代わりに、私たちは次のことを承認する。
世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。
私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは急を要する。
 もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。
 恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。
しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、しかし強力な愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。
 私たちがこの宇宙的エネルギーを与えかつ受け取ることを学ぶとき、愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。
 なぜなら愛こそが生命の神髄だからだ。
 私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを深く悔やんでおり、それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ。
あなたの父
アルベルト アインシュタイン」

 天風師は「引力=愛」という宇宙的宗教感情を、宇宙法則として直感で捉えていました。
 1922年(大正11年)アインシュタインの訪日の時に、天風師(当時46歳)は、東京市内を案内しています。この時にアインシュタインとの会話に:
   「日本人はシルクハットにエンビ服を着て下駄を履くや?」
   「然らず」
   「かの学生は和服の下にシャツを着ておるが如何?」
   (日本の上っ面の西洋化の滑稽さを質されて)「答えに窮した」とあります。
 補記:この訪日時にアインシュタインは二人の息子に宛てた手紙に;『私が会った全ての人々の中で、日本人が一番好きだ。謙虚で物分かりや察しがよく、技術に対する勘があるから』と訪日した際の感想を述べている。
 また、『人類と日本人に寄せる予言』(超常科学謎学事典)に、こんなメッセージを日本に寄せていました;『世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度かの争いがくりかえされ、最後に闘いに疲れるときがやってくる。そのとき、人類は真の平和を求めて、世界の盟主を上げねばならない。この世界の盟主となるものは武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越する、もっとも古く、もっとも尊い国柄でなくてはならぬ。世界の文化は東洋に始まり東洋に返る。それは東洋の高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。天が我々に、日本という尊い国を創ってくれたことを』

3:1.jpeg  2014年に打ち上げた「はやぶさ2」が、32億kmを飛行し3億4千km離れた小惑星「リュグウ」にタッチダウンした爽やかなニュースに心が洗われました。2月22日、はやぶさ太郎が竜宮で採集した物質から、海の起源、生命の誕生の秘密に迫まるという現代神話の快挙です。
 天風の宇宙を語る時、地球軌道を遠く離れて月面に降り立った3人のアポロ飛行士のメッセージから入ってみます(「宇宙からの帰還」立花隆著を参考)。
 彼らは静謐の月面で受けた神秘的な宇宙体験を語っています。しかし、月面着陸からすでに50年になるというのに、私たちはいまだに彼らが受けた神秘な霊的体験は月面に放置したままになっています。それは彼らの衝撃的な魂の叫びを、私たちが感受できるだけの霊性心が用意されていないからかだと思う。
 惜しむらくは、1969年にアポロ11号が月着陸した年に天風師は故人となっていることです。もし存命だったとしたら、彼らからのメッセージを感受して「宇宙霊とはこれだよ!」と、膝を打ったに違いありません。

 地球はいきいきとして雄大で、
 その存在は、偶然の産物にしては
 あまりに美しすぎる。
 我々より大きな何かが存在するはずだ。
 宗教的なものでなく霊的なもの。
 人間の作った宗教を超越する
 万物の創造主が、存在するに違いない。
           (ユージン・サーナン)

 ユージン・サーナン飛行士は、アポロ17号で司令官を務め「月面に降り立った最後の人類」となりました。また地球軌道を離れて深い宇宙に一番長く滞在した人類でもありました(2017年1月没)。
 サーナン飛行士は、宇宙から見た地球があまりに美しく、これが偶然に素粒子と素粒子が衝突してできたとしたなら、あまりにも美し過ぎると、彼自身はカソリック教徒でありながら「宗教的なものでなく霊的なもの。人間が作った宗教を超越する、万物の創造主が存在するに違いない」と、語っています。
 これは天風哲理の宇宙霊への問いかけそのものでもあります。

 次のメッセージはアポロ14号に月着陸操縦士として搭乗したエドガー・ミッチェル飛行士のメッセージで、月から地球への帰路にアポロ宇宙船の丸い窓から「母なる星、地球」を眺めた瞬時に;

 宇宙には知性と愛情と調和があることを
 私は身をもって知ったのである。
 そして気づいた。
 己の肉体の分子も、宇宙船の分子も、
 クルー仲間の肉体の分子も、
 その原型ははるか昔に宇宙で創られたものだと。
 すべてはつながっていて一体なのだと。
 他と私ではなく万物は一つなのだと。
 私という人間がここに存在しているのはなぜか。
 私の存在には意味があるのか。目的があるのか。
 人間は知的動物に過ぎないのか。
 何かそれ以上のものなのか。
 宇宙は物質の偶然の集合に過ぎないのか。
 宇宙や人間は創造されたのか。
 それとも偶然の結果として生成されたのか。
 我々はこれからどこに行こうとしているのか。
 すべては再び偶然の手の中にあるのか。
 それとも何らかのマスタープランに従ってすべては動いているのか。
 こういったような疑問だ。 
 いつも、そういった疑問が浮かぶたびに、ああでもない、
 こうでもないと考え続けるのだが、そのときは違った。
 疑問と同時にその答えが瞬間的に浮かんできた。
 問と答えと二段階のプロセスがあったというより、
 すべてが一瞬のうちだったといった方がよいだろう。
 それは不思議な体験だった。
 宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。
 心理学でいうピーク体験だ。
 詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。
 とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。
 世界は有意味である。
 私も宇宙も偶然の産物ではありえない。
 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
 そのプランは生命の進化である。
 生命は目的をもって進化しつつある。
 個別生命は全体の部分である。
 個別的生命が部分をなしている全体がある。
 すべては一体である。
 一体である全体は、完璧であり、秩序づけられており、
 調和しており、愛に満ちている。
 この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。
 自分は神の目論見に参与している。
 宇宙は創造的進化の過程にある。
 この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。
 進化は創造の継続である。
 神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。
 人間の意識はその神の思惟の一部としてある。
 その意味において、人間の一瞬一瞬の意識の動きが、
 宇宙を創造しつつあるといえる。
 こういうことが一瞬にしてわかり、
 私はたとえようもない幸福感に満たされた。
 それは至福の瞬間だった。
 神との一体感を味わっていた。
 神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神であると言ってもよい。
 宇宙知性と言ってもよい。
 それは一つの大いなる思惟である。
 その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。
 人間の意識はその思惟の一つのスペクトラムに過ぎない。
 宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。
 この本質が神だ。
            (エドガー・ミッチェル)

 「神の顔にこの手でふれた」、なんと奧深く詩的な宗教感情なのでしょう。
 この言葉に聖パウロの信仰告白にみえる、「もはや我生きるにあらず、キリスト我が内にありて生くるなり」という、人間が到達しえる最高の宗教意識を聴くような思いがします。アポロ飛行士が月から地球へ、「宇宙霊の実在にこの手でふれた」、「もはや地球として生きるにあらず、宇宙霊が地球の内にありて生きるなり」という、宇宙的宗教感情に到達したかのようなメッセージです。
 こうしたアポロ飛行士からの魂のメッセージでありましたが、我々はそれを心耳で聴く準備がなくいまだに月面に放置されたままとなっています。エドガー・ミッチェル飛行士は、熱心なクリスチャンでしてテレパシーやUFOの存在や宇宙人の実在まで言及したものですから、奇人でオカルト的と見られがちなのですが、もっと謙虚に彼の霊的な叫びに耳を傾けてもよいかと思います。
 彼もサーナン飛行士と同じように「この宇宙には、行き当たりばったりで、秩序も目的もない分子集団の運動だけでは説明のつかない、なにかがあるように思われる。私にとって、神とは、宇宙に存在する知性だ」、「うれしかったのは、宇宙には調和があり、目的があり、創造力があると感じたときだ。悲しかったのは、人間はそれを知りながら、それに反する行為をしているのに気づいたときだ」と、語っています。

 天風哲人も生前に「神を人格視しないで、宇宙の法則性で捉えたほうがわかりやすい」と述べています。ミッチェル飛行士の神秘体験である「自分は神と一体」を、宇宙霊に置き換えれば「自分は宇宙霊と一体」となります。
 また、彼の「宇宙には知性と愛情と調和があることを私は身をもって知った。すべてはつながっていて精神的には一体なのだ。他と私ではなく万物は一つなのだ」というスピリチュアル・ ワンネス(spiritual oneness) のメッセージは、天風哲人がインドのヨーガの里で会得した大悟の瞬間そのものになっています;
 「天の声はそう簡単には聴こえない。聴こえないどころか、日がたつにつれてわからなくなってきた。どうしょうもなくなって、もうどうでもいいや、と滝の外の草原で大の字になって雲をながめていた。すると緊張感がす〜となくなり、大宇宙と一つになった気になって、たとえようのないうれしさと喜びが、心と身体をつきぬけた。もう嬉しくてたまらなくなり、ああそうだ、我が生命は大宇宙の生命と通じているのだと思わず叫んだ。まさしく心の感動のエクスタシー、今までわからなかったことがみんなわかった。宇宙創造の叡智を知った時だ、悟りの瞬間だ。これだ! 宇宙創造の叡智はスーパーノリッジなんだ。それがわかった。うれしくて、ありがたくて、自然に手を合わせてしまった。自分が自分に手を合わせた。自分で自分を見ることができないのにうっとりしたなんともいえない喜ばしい顔つきになって、身体全体からオーラがさしているのが、はっきりとわかった。なんともいえない歓喜の絶頂に達して、涙が自然にどっとあふれでた」。
 月へ行ったことのない天風師は、アポロ飛行士より70数年も前にヒマラヤ山脈の麓で、宇宙から「空」の声を聴いて神秘体験をしていたことになります。
 もっとも天風師ならきっと「なにもそんな大掛かりして月にまで行って神秘体験しなくても、私のお教える方法を実行すれば、すぐさまその境地に入れますよ」と言うかと思います。
 次はアポロ15号からのメッセージで;

人はみな神に祈る。さまざまのことを祈る。
しかし、神に祈ったときに神が直接的に答えてくれたという経験を持つ人がどれだけいるだろうか?
いくら祈っても神は無言だ。直接的には何も答えない。
すぐには何も答えない。それが普通だ。神と人間の関係はそうしたものだと私も思っていた。
しかし、月では違った。
祈りに神が直接的に即座に答えてくれるのだ。
祈りというよりは、神に何か問いかける。するとすぐ答えが返ってくる。
神の声が声として聞こえてくるというわけではないが、
神が今自分にこう語りかけているというのが分かる。
それは何とも表現が難しい。
超能力者同士の会話というのは、きっとこういうものだろうと思われるようなコミュニケーションなのだ。
神の姿を見たわけではない。神の声を聞いたわけではない。
しかし、私のそばに生きた神がいるのがわかる。
そこにいる神と自分の間にほんとうにパーソナルな関係が現に成り立ち、
現に語り合っているという実感がある。
これはどうしたって、すぐそこに神は実際にいるはずだ。
姿が見えなければおかしいと思って、何度もふり返ってみたくらいだ。
しかし、その姿を見ることは出来なかった。
だがそれにもかかわらず、神が私のすぐ脇にいるというのは事実なのだ。
私がどこに行っても神は私のすぐ脇にいる。神は常に同時にどこにでもいる偏在者だと言うことが実感としてわかってくる。
あまりにその存在感を身近に感じるので、つい人間のような姿形をした存在として身近にいるにちがいないと思ってしまうのだが、神は超自然的にあまねく偏在しているのだということが実感としてわかる。
                (ジェームス・アーウィン)

 ジェ--ムス・アーウィン、アポロ15号月着陸船操縦士は月から「創世記の石」を持ち帰ったことで知られる飛行士です。やはり彼も月面で神秘体験をして「神はあまねく遍満存在している」と、メッセージを送ってきています。
 これもまた天風哲人のいう「神(宇宙霊)はあまねく宇宙に遍満存在している」に重なってきます。日本人で初めて宇宙遊泳した土井隆雄飛行士も、この宇宙に遍満存在するなにものかを、「極端に言えば、霊魂の世界で生きているような感じだった」とメッセージしています。漆黒の宇宙が彼らを瞑想の世界へいざなうのでしょう。
 月面に降り立った3人の宇宙飛行士は、宇宙からの帰還した後に、彼らが神秘体験した神とは宇宙霊あるいは宇宙精神、宇宙知性と一体という実感と、地上の地球人の現実意識との乖離に苦悩していきました。そして、彼らの神秘体験は時の流れとともに一時的なものになってしまいました。彼らは宇宙で受けた精神高揚のエクスタシーを、維持してゆくことができず、また維持する方法を知らないがために、彼らの精神を理解できない現実社会の中で魂の分裂をきたして行きました。

 「天風誦句集」の3番目にあります「プラナヤマの誦句」は、朝の行修の時に行う大切な全身呼吸法です。
 ここに「神韻縹渺たるこの大宇宙の精気の中には、人間の生命エネルギーを力づける活力なるものが、遍満存在している」とあります。
 天風哲理に大宇宙、宇宙霊、宇宙エネルギー、宇宙の根元主体の語彙がよく出てきますが、それがどのようなものなのかあまり説示していません。ここは復習かたがた故杉山彦一4代目会長に具体的に定義してもらうことにしました。
(本サイト第3部「生命力の自覚」)

第一;大宇宙の根源的主体は強大な力を持つ。
   大きいものとして太陽エネルギーの存在、大宇宙に自ずから然りである。
小さいもので1cm平方に1億個の原子が入り、それが広島、長崎を壊滅させるほどの強大な力をもち、いずれも自ずから然りです

第二;大宇宙の根源的主体は強大な叡智を持つ。
   雪の結晶、ささいな花一つ見ても、植物にも、動物にも、物質にも知恵があり、宇宙の中に一つの意思、統一の方向性があることが見られます。

第三;大宇宙の根源主体はすべてのできごとに法則性を持つ。
   現象界のできごとはけしてでたらめではなく、すべてに法則性があり、法則性をもって現象界を支配しています。
 物質の変化にも法則があり、それが物理学となり、生物の変化にも法則性がありそれが生物学に、人間の体にも法則性がありそれが生科学、生理学、医学となり、宇宙科学も法則性にしたがってアポロを月に飛ばしたわけです。

第四:大宇宙の根源主体は、力と叡智と法則性を使用して創造活動している。
   我々は太陽系の一員ですが、その太陽は銀河系に1千億個もあるとされ、その銀河系も大宇宙の中に1千億個もあるとされています。
 この大宇宙を誰が創造したのか。大宇宙には巨大な創造力が働いています。植物も水と、炭酸ガスと太陽エネルギーで光合成してデンプンを創り、米、麦、ジャガイモ、リンゴ、ミカンまで、創造し人間はそれによって生かされています。

第五;大宇宙の根源主体は、創造性を駆使して進化と向上への方向性を持ち、一切を大調和あらしめようとしている。
   大宇宙の究極の目的は大調和に向かっています。我々の生命もバランスを保ちながら生きています。夏の暑い盛りでも、零下の寒さの中でも、恒常性維持機構が働いて体温を一定に保とうとしています。   
 大宇宙の根源主体は、巨大なる力と叡智を法則的に使いながら、たえざる絶妙な創造活動をし、進化と向上の方向性に向かって一切を大調和ならしめようとしている大生命体であります。
 天風哲人は、この根源主体によって我々は、生かされて、活きていることに、絶大な感謝と讃美をもって「宇宙霊」と称しました。


 以上が大宇宙の第一認識になります。
 次に大宇宙と私たちの関係が第二認識となります。

 宇宙の大生命と我々の小宇宙はいかなる関わりがあるのか、これを多くの人は知りません。天風先生の言葉で言いますと、「我々は宇宙の根源主体とつながっている。我々は宇宙霊と一体である」。大宇宙の根源主体の働きで我々は生まれ出てきました。だから我々はこの大生命の分流であります。同じ流れから分かれた分流であります。言ってみれば大宇宙を母とすれば我々はその子供です。
 「我が生命は大宇宙の生命とつながっている」
  だから、
 「宇宙霊の生命はそのまま我の生命に与えられている」になります。
 宇宙の根源主体のもつ、力と叡智と、法則と創造性と、進化と向上と、大調和をもたらそうとする宇宙霊の働きは、そのまま私たちの生命のなかに与えられている。ですから人間はすばらしい力をもっている事になるわけです。人類もその方向に向かってこの地球において大調和すべく創造活動をしています。
 私は大宇宙の根源主体とつながっていて、我々の生命の中にすばらしい力が、生まれながらに与えられています。天風師はこの力を "Reserved Power" 潜在勢力と呼んでいました。
 「プラナマヤマ誦句」の「活力吸収法を行い、この活力を、五臓六腑はもちろん四肢の末端に至るまで、深甚なる感謝をもって思う存分吸収しよう」と教示していました。

迎 春

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              迎 春afterfocus_1545876924261.jpeg     今年は平成のまとめと新元号の事始めになります。
     国際情勢は乱気流に突入し激しく揺れていますが、
     雲上は太陽が照り輝く青空です。
     空を見上げた猪の如くに、2019年も日々向上、
     積極一貫、猪突猛進して行きましょう。
     みなさまどうぞ素晴らしいお年をお迎えください。
     本年は「真理行修誦句集」の「瞑想篇」を集中して
     研鑽してく所存です。どうぞよろしくご指導お願い
     いたします。
                      元旦

感動の創造

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417f720ZtxL.jpg 天風会メルマガの推薦でもあり「新訳中村天風の言葉」とあるので、ついに新訳本が出た!と、大きな期待をもって先行予約した本が今日届きました。今日か今日かと待ちわびていたので、さっそく読みはじめましたが、何の感動もなく1時間で読み終えてしまった。本のタイトルは出版社が決めますが、これは「新訳」でなく「注釈」でした。12月は感動した書評を書きたく身構えていましたのでとんだ肩すかしでした。
 私は「真理を践行するものはみだりに他人を批評するなかれ。否その暇があるならば自分自身を厳正に批判するがよい(天風述)」を、旨としていますので書評は控えますが、一つだけ書いておきたく思います。
 著者はプロローグとあとがきに、繰り返し「天風師の肩を借りて、その上に乗り、今と未来の景色を見渡す」と記しています。私は天風道を33年も歩んできても、いまだ師の足元にも及ばぬ自分を痛感し、一歩でも近づこうと日々研鑽を重ねています。その私から見ますと、いともたやすく師の肩の 上に乗り景色を見渡す身軽さ、たとえ言葉のあやであったとしても、師に対しての尊厳がみられないのが残念でした。
 天風師は「俺は月を観よと指をさして教えた。指をみないで月(真理)を観よと」、「俺の肩に乗れ」とは言っておりませんでした。
 ですから著者には注釈本でなく忠実な新訳本での感動を期待したいところです。次回の感動を楽しみにしています。

心を磨く

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61clwpDgt8L.jpeg  この講演録は「心を磨く」CD全七巻を、編集し書籍化したもので「真人生の創造」についで久々の天風講演録の出版です。私は活字人間のため書籍の方がより心に響いてきます。書籍の横帶に「秘蔵の天風座談」とありますが、これで秘蔵講演録は出尽くしたのか、まだ秘蔵があるのか楽しみなところです。
IMG_8328.jpeg 先ず表紙を開きますと天風師の毅然と立った写真になります。天風会は秘密結社でありませんが、この親指を中に入れた拳の握り方とクンバハカ体勢で、一見して天風仲間とわかります。
 講演録は天風哲理が総仕上げに入る最も円熟した天風師85歳から89歳の最晩年(1961年〜1965年)に、神戸、京都支部で行なった研修科での講演録になります。
  講演がいつも軽妙な講談調で面白くやさしく話されるので、我々はついつい原稿なしに即興で話されると思い気軽に拝聴しますが、天風師は何を主題にして話すのかを事前に熟慮し原稿を整理されていました。野崎郁子第三代会長によりますと、当時、東海道在来線で関西に向かう列車の中で、原稿をもとに講演の準備をし、入れ歯のために飛び散る唾で社窓が水粒だらけになっていたと話していました。この師の差し出す真剣さに対し、我々も真剣勝負で心読せねばと思う次第 です。
 講演録「心を磨く」は、題名通りどこまでも心の問題を扱っています。ここで面白いことを話していますのは「肉体だけでなく時には心をドッグ 入り」させて健康心断を勧めしていることです。たえず心の基本に立ち返り、自己否定をせず「自分は尊い人間だ」と、積極的に自己を肯定し、不断に自己鍛冶 し、霊性心を発揮して、光明が燦然と輝く人間になるようにと諭しています。
 「こういう人間が、たった一人、多くの人間の中に入って行くと、多くの迷ってい る人間や苦しんでいる人間、みんなその一人の光明を持っている人間の近くにフ〜ッと、美化、善化されちまう」ものです。どうぞ今日から、みなさんも心を磨き、世のため人のために輝く真人になるよう祈念しての講演録でした。

実践哲学

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 心身統一法の入門には「天風会独特の理入行入という方法」があり、哲理からの理入法と実践の行入法の二通りあると習ってきましたが、実際には行入しかありませんでした。
 哲理はあくまでも実践のための理論体系であり、哲理は実践することで初めて真価となります。いかに哲理に精通しても実践が伴わないことには宝の持ち腐れとなります。
 実践がないことには知識の範囲に留まってしまい、哲理は実践を通すことで智慧となります。人生でいざという時に真に役に立つのは智慧となります。実行、実行、実行です。
 プラナヤマ(活力吸収)法、統一体操、呼吸操錬はもとより実行です。哲理の基盤となすクンバハカ法も実践することで体得となり、積極心の養成、観念要素の更改も実行の積み重ねになります。宇宙霊と一体化をめざす天風式打坐(安定打坐)も実行となります。これらは日常生活のなかで容易に実践できるように工夫されています。
 大井満先生は「一日行わざるは、一日遠ざかる」と、理屈をこねるよりまず実行としていました。天風師は「東京に向かって歩きはじめればいつかは辿り着けるが、歩き出さなければいつまでも同じ場所にいることになる」言われていました。
 このあたり曹洞宗の只管打坐のひたすら打坐の行入と通ずるものがありますが、10月のエッセーにも書きましたように、天風式打坐のひたすらは、長さでなくブザー音の途切れた刹那に無心の境地へ入る練習の繰り返しとなります。そして数分の打坐法を継続することを教示しています。
 哲理だけでしたら卓上で自習できますが、実践法の基本となりますとやはり日曜行修や修練会で補導してもらう必要があると思います。DVDやCDよる指導法もありますが、どうしても自己流になってしまうので基本だけは行修会がお勧めになります。
 

IMG_8143.jpeg 安定打坐、私の称する天風打坐は「心の瞬間活力法」として実用向きです。
 杉山彦一天風会四代目会長は、安定打坐法はノーベル賞級の創意だと言われましたが、私も同感です。
 私は天風打坐しか知らなので比較できませんが、日常生活の中で瞑想や坐禅をする時、どれくらい長く打坐をすればよいのか、また、どれくらい打坐をすれば三昧の境地に入れるものかもわかりません。それに多くの人は日常生活のなかで長く打坐をしている時間的な余裕も静寂な場所の確保もむずかしいです。
 天風師は長い時間の打坐を奨励していません。その時間があるなら日常生活で別の事に使えと言っています。瞑想は『時間の長短でなく静けさ深さが大切で、漠然と長い時間坐るのはむしろ時間の無駄で、1日10分から20分でも毎日続けることが大切』(井沢淳弘著「最高の瞑想法」)としています。
 天風打坐は数分の合間に聴こえてくるブザーの音に心耳を傾け、パーンと音が絶えた刹那に無念無想の境地に入ることを第一歩としてます。2〜3秒ほどの境地ですが、深山幽谷のなかに入ってシーンとした静寂な気を感じた時と同じに気分になります。そうなりますと理屈なしに心の疲れが休まり、心に復活の力が湧き出てきます。
 坐禅の求める境地もこれだと思いますが、長く打坐をしていてもなかなかその境地に入れぬようです。それを天風打坐法は数分のうちに三昧の境地に到達せしめるのですからすばらしい創意です。時にはなんとも言えぬ心地よさに、そのままいつまでも坐っていたい衝動になりますが、そこは天風師「見切り千両」の爽快さで、スーと立ち上がり、新しい元気をもって日常生活に向かことになります。

61AbNh56wmL.jpeg 工藤房美著「ありがとう。100万回の奇跡」を、読んでみました。
 工藤女史は末期ガンで医師から余命1ヶ月と宣告されたが、村上和雄氏の著書で遺伝子をプラスONに覚醒することで腫瘍が消えて、命の甦りを果たしたと言うことでした。たぶん「がんもどき」だったかと思うのですが、参考に村上和雄著「サムシンググレート」、「生命の暗号」、「アホは神の望み」を、走り読みしました。
 1980年代の出版当時は、遺伝子万能がもてはやされた時期でした。出版社の意図と思うがタイトルを「サムシンググレート」として神を隠ししているのが煮え切レません。原題の「人間、信仰、科学」(1986年、天理教道友社刊)の改題となっています。ここに書かれている内容ほぼ80年前の天風哲理の練り直しでした。
 語彙として「サムシンググレート」を「宇宙霊」に、生命の暗号の「遺伝子」を「潜在意識」に置き換えることができます。また遺伝子に全て委託するさいに「つつしみ」が必要としていますが、これも「調和」に置き換えられます。
 まだ使われていない遺伝子を、ポジティブのプラスにONすることで運命を好転するとしています。これはその通りだと納得が行きます。しかし、どのようにして遺伝子をポジティブONにするだけで、あとは「祈り」と「ありがとう」だけしか言及していないところが、学者やの〜。「言うは易く(How to say)、行なうは難し(How to do))で、具体的な方法まで論及されていません。
 ポジティブONにすには天風哲理の「潜在意識の更改法」が必要になってきます。「アホは神の望み」の他力でなく、意志の煥発の自力行修が必要になってきます。単なるアホではだめでして、この点が天風実践哲理の優れたところになります。How to「クンバハカ」+「天風式打坐」+「潜在意識の更改」の三点セットでプラスONになります。

調和

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IMG_7942.jpeg  「調和という事は 真善美の美に該当するもので、
   これは探究すべきでなく、自ら進んで作為すべきものである」
                 「真理のひびき」箴言17 

 「天風誦句集」のなかに「平和」という語彙が5ヶ所あります。
 天風師にしましても戦後の平和至上の風潮の影響を受けていたことを実感します。言うまでもなく平和は尊いものですが、戦後あまりに平和を絶対視し政治用語と化して乱用され使い古されてきました。
 昭和の戦後から平成へ代わり、来年は御世替えになります。また、天風哲理百周年でもありこの機に「平和」の語彙を「調和」に代替してはいかがなものでしょう。
 「真理のひびき」箴言17の注釈に;
 「調和ということは、厳粛なる宇宙本来の面目であり、かつまた人生の実相である」
 「調和のあるところにのみにいわゆる真の完成というものがあって、調和のないところには絶対に完成というものはあり得ない」と、注釈しています。平和と調和は違いまして、調和を作為することで平和が招来されてきます。「天風誦句集」にあります「平和」の語彙を「調和」に置き換える方がより真理の響きに近いものがあります。
 まず、私が何度か書いてきました誦句集冒頭の「誓詞」ですが、
  今日一日
  怒らず 怖れず 悲しまず、
  正直 親切 愉快に、
  力と 勇気と 信念とをもって
  自己の人生に対する責務を果たし、
  つねに平和と愛を失わざる(→調和と愛と誠を)
  立派な人間として活きることを、
  自分自身の厳かな誓いとする。

 今日の一日を「怒らず、怖れず、悲しまず」「正直、親切、愉快に」「力と勇気と信念をもって」と、ここまでトントントン3つの単語がリズムよく流れています。ここで「平和と愛」だけで流れを止めずに「つねに誠と愛と調和を失わざる」と、真善美の3つの語彙で続け、ついで立派な真人(リアリスト)と繋げたらすっきりします。
 次に「言葉の誦句」ですが、「終始 楽観と歓喜と、輝く希望と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう」を、楽観と歓喜と希望と情念の流れからして、ここは平和とせずに「終始 楽観と歓喜と、輝く希望と、調和に満ちた言葉でのみ活きよう」と、調和がより相応しく響いてきます。ですから「大偈の辞」における「誠と愛と調和した気持と、安心と勇気とで、ますます宇宙霊との結び目を堅固にしよう」となります。また、これと同じ流れで「一念不動の誦句」も「平静と沈着と調和と光明とに輝き閃いているのだ」になります。
 さらに、5つ目の最後「修道大悟の誦句」で、「我らの住むこの世界に誠と愛と平和に活きんとする人の数を多からしむるべく」を、「我らの住むこの世界に誠と愛と調和に活きんとする人の数を多からしむるべく」と、真善美に置き換える方がより相応しく思います。
 「天風誦句集」のなかで「神」「神仏」の語意は、すでに「宇宙霊」に置き換えられています。朝礼の時に行う「平和体操」の名称も「積極体操」に換わっています。誦句集の「平和」も「調和」に代替えされたらいかがなものでしょう。
 天風師は日々更新を旨とし、これだと納得すれば即日から変えてきました。